本当の親族会議は1ヶ月遅れの11月4日、11月5日で真里亞の誕生日は11月4日だった説:証拠に証言は殆ど無いので11月4日と11月5日に何があったのか調査。
1979年11月4日:日本シリーズ広島東洋カープ対近鉄バファローズの第7戦。いわゆる「江夏の21球」(福盛じゃないよ)→EP4「牛でも丸焼きに」はこれの暗喩?
フィクションではあるが絶望先生の糸色望は11月4日生まれとされている。12月24日から十月十日。十月十日(とつきとうか)と言うのは人間の妊娠期間の事。
「妊娠」だと2文字だが「十月十日」とすれば平仮名で6文字。碑文の謎にも関係がある?根拠は全く無いんだが頭の隅には入れておく事にする。
十月の「十」と言う漢字が十字架にも見える。何かの暗喩?10月4日に六軒島に到着して10月10日に死んだなら六軒島では7日間生きた事になる。
ぼくらの七日間戦争?映画は1988年だが原作は1985年4月に発売された。六軒島での出来事は映画とか小説とかをごちゃ混ぜにした内容?
真里亞はクリスマスに母親が種付けされて生まれた?その日に死んだ人が居る?真里亞の出生に関わる誰ががクリスマスに殺された?真里亞は最初から居ない?
1847年11月4日にメンデルスゾーンが死亡。「一度見た楽譜や一度聞いた音楽を完璧に記憶する記憶能力を有していたという。伝わっている逸話の1つとして、
代表作の1つである『夏の夜の夢』序曲の楽譜を引越す際に紛失してしまうも、記憶だけを頼りに全てまた書き出して見せたというものが残っている」真里亞のモデル?
1972年11月5日:上野動物園でジャイアントパンダ・カンカンとランランの一般公開を開始。
フィクションではあるが1955年11月5日にエメット・L・ブラウン博士がタイムマシンの原理(時元転移装置)を思いついた。バック・トゥ・ザ・フューチャー。映画の話。
主演のマイケルJフォックスはパーキンソン病である事を公表している。縁寿が18歳の姿で過去の六軒島へ飛んだと言うのはこの映画が元ネタとなっている?
バック・トゥ・ザ・フューチャーの1作目の日本公開は1985年12月7日。六軒島での出来事は1986年なのでネタとして組み込む事は可能。
嘉音やベアトが口にしている「1000年」とは七五三説:1000年を生きれば年齢は1000歳。転じて「千歳(ちとせ)」とする。真里亞が「北海道へ遊びに行った」
と言ったのは新千歳空港(千歳市)の事ではあるがこれはミスリードで本当は「真里亞が千歳飴を貰った」絡みだったと仮定する。七五三。うみねこ=七五三?
親が7人で子供が5人で孫が3人?確かに六軒島での親組は7人だし子供は縁寿も含めれば5人だし筋は通る。孫が3人?金蔵の孫は3人しか居ない?
縁寿は六軒島には来てないので除外するとしてもそうすると子供は4人になる。朱志香、譲治、戦人、真里亞の中で本当に金蔵の孫なのは3人しか居ない?
1人は偽者?それとも金蔵の子供は4人ではなく本当は5人だった?誰か1人が死んでいる?それが明日夢?親組の血縁関係も本当はグチャグチャ?
1985年に日本で公開された映画の中でうみねこに関係ありそうなのは「2010年宇宙の旅」「ランボー怒りの脱出」「新13日の金曜日」「マリアの恋人」この辺か?
それとうみねこではないがひぐらしで主題歌を歌った島みやえい子が千歳市出身。何かある?「成田→新千歳空港」「成田→那覇空港」は共に実際に路線がある。
親族会議は本当は11月4日、11月5日で各EPで必ず生き残りが1人居て十月十日の転用でつまり11月10日に死んだとしてこの日の出来事。
1483年11月10日にマルティン・ルターが生まれ1683年11月10日にジョージ2世が生まれ1980年に中日のブランコが生まれている。ブランコは関係ないか。
芙蓉楓がこの日に生まれた設定となっている。紗音ヤンデレ説?人がシャッフルされてる説。まぁいいや。とりあえずだらだらと書いていく事にする。
留弗夫は戦人の父親でほぼ確定。但し「バトラ」ではなく「セント」の方で。理由?「ドル→セント」と言う通貨単位シリーズ。そんで朱志香と戦人が結婚して
生まれた子供に「縁寿」とつければ「ドル→セント→円」と言う事で通貨単位シリーズが継続される。それと。「1ドルは100セント」つまり「1セントは1ドルの100分の1」
転じて「人生100年。俺は100歳まで生きるんだ」とすれば「自分の人生の100年の中で1人しか居ない大切な息子」と言う風に考える事が出来る。
分かり易く競馬で説明するか。父サンデーサイレンス、母ウインドインハーヘア。競馬の場合は種牡馬が変わる事は良くある話なのであまり参考にはならないが
上記の組み合わせで誕生した馬は全部で3頭。サンデーサイレンス自身はもう亡くなっているのでこれ以上数が増える事は無い。そんでその3頭なんだが
どうよ?競走成績とか馬体重とか気性とか。つまり「何頭子供が誕生しようとも1人1人(馬なら1頭1頭か)の性格や外見は全然違う」と言う事に他ならない。
留弗夫が何人子供をもうけようが戦人と言う存在は1人しか居ない。うみねこのテーマは親子愛、人間愛だと思っているのでその流れにも逆らわない。
なんで競馬なんですか?とか言われたら「3冠を達成した馬っつー事でシンボリルドルフの名前は有名だろぉ?競馬ファン的な意味で」っつー事で。
競馬で例えたのはそこら辺の発想からの理由。でも今3冠馬って言ったら上記の血統の組み合わせでお馴染みのディープインパクトだよなぁ?っつー事で。
ちなみにシンボリルドルフの現役期間は1983年から1986年。普通にうみねこの中にネタとして組み込める期間でもある。と言う事も書いておく。