「絵羽(クール)→伊藤美紀→ハトヤ→有野晋哉→浦川瞬(鮎の川)&井上昌己(まさき)→有野晋哉≒伊藤美紀」の1番最後がよく分かりませんって感じなんですが。
これ書いていいんですかね?個人的には「書いちゃダメ?」とか瞬間思ったんですが「おそらくもう期間は過ぎている」ものと思って勝手に書いておきますわ。
ダメだったらサーセンwww許しておくれおwwwとか言って跪いておっぱいおっぱいと呪文の様に連呼しながら漏れなく引かれる様なそんな事でもしておきますわ。
てか正直「これが合ってるかどうか」なんて言うのは俺はスタッフではないのでさっぱり分かりませんが。「こうかな?」と言うのをそのまま垂れ流しているだけですが。
よって「何を書いても自由」だろ。もちろんスタッフはそうもいかないだろうがとまむさんはスタッフでは無いのでどこがどこまでダメとかさっぱりだおwwwと言う事で。
ゲームセンターCXでの有野課長の作業服と言えば薄い緑なんだが1度だけ「紫」に変更された事がある。1度着ただけですぐに色が悪いとか言って元に戻したが。
ゲームセンターCXで有野がウルトラマンに挑戦した時に苦労の甲斐あってか最後の怪獣である所のゼットンを倒したやった!…とか思ったらスペシウム光線を
跳ね返されて(ここら辺の記憶がうろ覚え)逆にウルトラマンがやられて「えーっ!」とか言う展開にもなった訳だけれどもいや元々そう言うお話だから。
テレビの中でもやっぱりウルトラマンはゼットンに負けているんだから原作通りと言う事で「この新兵器を使いたまえ ただし1発しかない し損じるんじゃないぞ」
みたいな事で残機に応じてペンシル爆弾の数も増える訳だが残り1機だったので「1発しかない」状態でゼットンを倒そうとしてペンシル爆弾を放つも外して挑戦失敗。
円谷英二(つぶらや えいじ)は、福島県須賀川市生まれの特撮監督、映画監督、撮影技師、発明家。円谷の人生は、活動大写真と呼ばれた明治時代の黎明期から、
映画斜陽期を迎えた東宝解体までの日本映画界の歴史とそのまま重なっている。一家は全員カトリック教徒で、墓所は東京都府中市のカトリック府中墓地にある。
この「1発しか無い弾を外した」と言う行為が「有野晋哉≒伊藤美紀」と言う事で。すなわち「ひぐらし解」の最終回。第24話で鷹野が1発しか無い弾を外したシーン。
「サンケイスポーツ杯GI開設58周年記念グランプリレース」は「昭和58年」と解釈してディケイドっぽく言えば「ここがひぐらしの世界か…」と言う様な感覚で。
「私は……私はただ……生きていいよって……人として、生きていていいよって………。うっ…誰かに認めてもらいたかっただけなのに………なのに、
なんでこんな………(手に持った拳銃)これが、私の罪に対する報いなのね……」「我は人にあらず。人を超える存在にして人の罪を許す存在。人の罪は、
人には許せぬ。我こそが、人を許そう」「そなたを許そう!」「無理よ…もう無理…」「ぅふふ…最後の最後で一矢むくいる事は出来そうねぇ……。」(銃を向ける)
「魅音ちゃーん?お友達を撃たれたくなかったら、一歩前に出なさ〜〜い!」「みーちゃん」「あなたのおかげで目茶苦茶よ?どうせ私は許されない、でもこのままでは
あ ま り に 悔 し い わ…。だから、ね?せめてオカエシをさせて!!」「げっ!自棄糞かよ!」「その通りよオ!弾も一発しか無いもの!♪でも一発あれば〜♪
ねぇ〜?」「梨花:…鷹野…」「誰も動いちゃダメよォ?焦って撃ったら誰に当たるかわかんなくなっちゃうからねぇ〜♪…。ぅははははあはははは♪…」
このシーンを思い出した。「あなたたち、よくゲームをするわよねぇ!?トランプのばば抜きはやる?」「やらないね!うちらはじじ抜きばっかだよ!」
「ふん!同じ様なルールよぉ!人の世の罪はばば抜きと同じ!誰もが一枚のばばを互いに押しつけあう!それは勝ちを求めるゲームではなくひとりの
敗者と言う生贄を求めるゲーム…私はそのばばを引いた。だからその腹いせにあなたを撃つの!」(驚く部活メンバー。魅音の前に羽入が出る)
そんで「死ねえぇえぇえぇーッ!!!」(バーン!!)(ヒュウウウウキューンパアーン!!) …弾丸は、羽入の横を逸れて樹に当たった。
「ああ…」「……外しやがった!」(バインダーを落とす鷹野)「この私が…この距離で…外すなんて…」(雨が降り続く山々。そして雨が止む…)
「鷹野も羽入も、魅音の話を聞いていたの…?」「私たちはばば抜きはやらない、じじ抜きしかやらない」「それを鷹野は同じだと笑ったけど、全然違うゲームなのよ…」
「だって、じじ抜きは欠けた1枚のカードが足されたら、敗者が居ないゲームになるの」「梨花?」「羽入と言う欠けた1枚のカードが加わると、この世界は
敗者が出ない世界になる。……それをわざわざ一枚抜こうなんて、愚の骨頂。この世界に敗者は要らない。それが、古手梨花が奇跡を求めた、千年の旅の
最後にたどり着いた答えよ!」「鷹野三佐。あなたを逮捕します」「…わたしが……わたしが…(鷹野の横顔)(首を掻こうとする)全部悪いと言う事になるのね……
はふふふふはふふ…(乾いた笑い → 歯を食いしばってまた涙を流す → 嗚咽)」「さあ」(鷹野の腕を取る番犬部隊、もう1人がもう片方の腕も取る)
「嫌!嫌よ!嫌!おじいちゃんのスクラップ!持っていくの!(地面に放り出されたスクラップ)嫌!嫌!」「待て!」「………はっ」「調査部の富竹二尉だ。
彼女は調査部が保護する」「しかし、司令部からただちに東京へ連行しろと…、命令を受けています…」「君たちは彼女を見て気付かないのか!(鷹野の首筋)
彼女の体を見てみろ。掻きむしったあとでいっぱいじゃないか!」「…」「雛見沢症候群の、かなり高いレベルの発症が疑われる」「ううっ!」「彼女をただちに、
入江機関本部へ移送し、発症レベルの検査に入る」「鷹野三佐の治療態勢を準備させるよう、入江所長に連絡を!」「はっ、わかりました…」(富竹が憂いの瞳で
ボロボロの鷹野をそっと抱きしめる)「ジロウさん……ジロウさん、ジロウさん!あーー!ああああーーーー!!」(慟哭する鷹野)
これを思い出した。テレビ版バトルアスリーテス大運動会の第7話のタイトルは「慟哭」(悲しみのために、声をあげて激しく泣くこと。)「7×3+3=24」で。
俺わりとひぐらしでは鷹野スキーだったんで普通になんとか覚えてた。どう考えてもフェロモン全開でエロ過ぎるだろ鷹野wwwとか思ってたんでかろうじて覚えてた。
伊藤美紀の演技力の高さに救われた感じだったな。と普通に思っている。これが「合っていれば」の話だがそれと同時に「合っていて欲しいなぁ」とも思っている。
1970年(昭和45年)、1月25日、伊東市の別荘で妻マサノと静養中、気管支喘息の発作に伴う狭心症により死去(68歳)。最期までテレビ映画
『日本ヒコーキ野郎』の企画を練っていた。円谷は昭和8年に映画『キング・コング』を観てその特撮技術に衝撃を受け、以後これを全ての手本としている。
『ウルトラQ』(ウルトラキュー)は、ウルトラシリーズ(空想特撮シリーズ)第1作のテレビドラマ。…あぁなるほど。だから「キング→4番 コング→栗原健太」な訳か。
栗原健太のブログのタイトルは「“KONG”栗健 #5」 2006年にニックネームを募集し、コングに決まった。多分、EP1で秀吉が風呂場で死んでるのは「風呂でぐったり」
転じて「ブログ」か?おい。「港へ来た男(1952年、東宝)」これとかEP1の1番最初っぽいな。そう言う訳で「有野晋哉≒伊藤美紀」が一応成立する。と言う事で。