前回までのあらすじ。ペンタックスのオールドレンズを装着しての撮影時に600万画素のデジタル一眼レフでは解像しきった様子もあったが1200万画素だとどうよ?
か。K-xを導入して「DA 18-55mm F3.5-5.6 AL II」の描写力が少し上がったな。具体的に書けばシャツの繊維の縦糸と横糸の縫い合わせと言うかクロスしている部分。
そこの解像が以前と比較して一皮むけた様な印象を受けた。と言う事で。そこら辺に関しての更に実験。ってな訳で以前にカメラのキタムラで中古レンズが登場していて
しかもMレンズでもAレンズでもないレンズでズームで比較的廉価なんだけれども600万画素のデジタル一眼レフとの相性は上々と言われたレンズが登場していたんで
まぁカメラのキタムラのネット中古はキャンセルオッケーとか言うお前本当にそれでいいのか?的なシステムがあるんでまぁそれも理由なんですが取り寄せて装着した。
結論から言えば「35-70mm F3.5-4.5」なんで開放f値が明るいっていいですねぇピントも割と合わせ易いですよ、それとこの画角個人的には好きです。
とは思うんだけれども、人間の視野を円錐を縦に切った様な二等辺三角形の様に考慮すると目線の先と目線の手前、左目もしくは右目の手前まで来ると
広角があった方が表現出来るわな。しかも換算後27.5mmでも若干狭いと感じる風味でむしろDA 15を出す必要も出てくる訳か?みたいな感想で。
○:換算後約52ミリの画角でF3.5でAF搭載はポートレートにはいいですね。色合いとかも割と自然で嫌いじゃないです。AF駆動音もそんなにうるさくありませんね。
×:広角側だと若干の樽歪みが発生する。ピントリングがラーメンの麺1つ分か?と思う様な細さで少し扱いにくい。ピントの精度が甘い(これが1番の問題か)。
と言う事で。ピントの精度が甘い。要するにデジタル専用設計レンズになってからレンズのピント調節が出荷前にきちんと検査される様になってきた。
その辺フイルム時代のレンズはデジタル専用設計レンズの現代とはちょっと精度がどうしたって低くなってしまう訳で。しかも廉価レンズで当時の技術と言う事で。
ちょっとこれは…ボディと比較してレンズのピン位置がズレてるな。工場からの出荷レベルでこれか。検査の精度と言うか施設云々の時代の差異だな。とか思った。
K100Dの場合、AF調節はカメラ単体でも出来るがK-xの場合には専用のテキストファイルを専用のファイル名で入力して保存したカードを突っ込まないと変更不可能。
よってAF調整がK100Dと比較してK-xだと行いづらい。なのでこの手のレンズ側によるAF位置のズレ。と言うのは思いの外評価を落としてしまう対象となる。
まぁそう言う事で。「写りは悪くないが解像しきれてると言う感じもしない」「600万画素と比較して1200万画素になるとレンズ性能もより高性能が求められる」
「AF調整も必要ないって状態にするにはレンズの製造年代が比較的最近のそれ同士で数本組み合わせて使うしかないんだろうな」と言う理由につきキャンセルした。
そう言う事で。あー。「K-xで解像しきる様なカメラのポテンシャルを引き出しまくる様な状態へと持っていくにはオールドレンズをなくなく手放すしかないのね…」
「質感とか嫌いじゃないし見た目も格好いいし逆光にも比較的強いし悪くはないんだけれどもな。フイルム時代と比較してより精度の高い物が求められる状態なのか」
と思ったんでとまむさんは手持ちのオールドレンズを大事に使ってくれそうな人に売却して結局レンズは2本態勢で普段は1本つけっぱなしでキットレンズでGO!
けれども他社のカメラのキットレンズの定義とは2枚ぐらい差異がある様なレンズになってるよ!あんまり大きくて重たいのはむしろ持っていきたくなくなるよ!
状態になりましたとさ。「DA L 55-300mm」の方は持ち出すのにも「よしっ!俺は今から持ち出すんだ!」とでも思わない限り持ち出したいとは思わない様な
そんな大きさ&重さ&って言うかこれだけの望遠普段使いのレンズではそんなに必要ないっしょ?でも画質には妥協とかしたくないっしょ?」的な状態なんで。
やっぱり実際使ってみないと分からない事もあるんだな。最近は他人の頭で物事を考えるアホが多すぎて困る。「誰々が何々していたからこれこれこうなる」
っつー様な理由の筋道の立て方をする様な愚か者とかな。ゆとりに限らずそんな風味のバカが割と多いんで。それが日本人か。俺「ネオ日本人」なんで。
で。それは本当なんですか?っつー事で。最近のとまむさんは割とトライ&エラーで自分中心って感じが多いなぁとか思った。いや基本的な俺の思考概念は
「他人は信用出来ない」「自分は信用しない」「何もかもまずは疑って掛かる」でスタートしてるんで。「マイナス」「ネガティブ」が悪い様に捉えられているよな。
人間の基本はむしろそっちなのに。ポジティブだとかプラス思考だとか言ってる連中こそが俺はむしろ信用出来ない。人間の根幹を解像していないとしか思えない。
「他人は信用出来ない」「自分は信用しない」「何もかもまずは疑って掛かる」「情報は狭く深く」「その分野で強い&有益な過剰とも取れる意識で挑め」だからな。
それがネオ日本人たる俺の感覚なんで。can'tとdon'tの違い。一応書いておくか。これも。それもきちんと如実に具現化しておかないと誤解を生み出す元になる。