2010年08月21日(土)エネルギッシュメッセージ

あー。誰かに限った話ではないんだがサイト運営もしくはブログ運営していてなんか外部からのやっかみを愚痴って記事にしてる連中多いなぁ〜。とか思った。
ネットに関する対人教育とか現代日本人は受けていないんでそこら辺においての軋轢ってなんか生じてきてるよなぁ〜。とか思った。どうでもいいんですけど。

ん?あぁ。とまむさんの場合には「メールとか、拍手とか、そう言う手段を採用する事自体がそもそもあんまりよろしくない」としか思えないんで。さて以下概要。

「なんか俺に文句があるんだったら自分でブログでも開設するなりなんなりして俺の日記を引用しましたと言う事が分かる様な形で記事にする。
自分のスペースで訴えろ。そして俺のアクセス解析にそれと分かる形でリンクを残す。つまり俺の日記をblockquoteで囲むなり文字色を変えるなりなんなりして
改変なしの引用だと分かる様なやり方で引用した上で、とまむがこんな事書いてんすけど〜、的な流れの記事で挙げろ。ブログ開設とか、今無料で簡単だぞ?」

と。以上。まぁそれに対して俺がいちいち反論する事もないんですが。めんどくさいし。そんなつまんねぇ反論する事に時間なんか使わねぇよ。マジで。

むしろ、重要なのは「俺でもお前でもない別ベクトル」だからな。つまりそうやって「俺の日記」と「俺の日記を引用してどうのこうの」と言う多元的な軸が設けられ
その両軸を行き来する第三者の存在。と言うのが最も面白い。「そこ」がどう見るか。だからな。「俺の日記を引用してどうのこうの」の側がむしろ不利になる。

「お前の世界と俺の世界」その多元的。そして別にどっちの勝ち負けもなくあぁそう言う見方もあるのかぁの1行で世界観の説明が可能な状態き構築。

と言うだけの事なんで。結局はそうした第三者がどう見る事が多いのか。と言うそこを軸としての「別離的コミュニケーション」と言うのが俺の最たるとこなんで。

こうする事で「具体的な文章の羅列」「文章のスタイルから見えて来る性格や頭脳の明晰さ」こうした所による人間力も加味されてのある種リアルなコミュニケーション。
が実現される事になる。あぁ。twitter?文字数が少なすぎる。それとCSSが如何にも典型的な1バイト連中が組んだ作り。と言う事で俺twitterはウェブとして
捉えていないんで。とりあえず「twitter(やや)不可」ぐらいに考えてるんで。上手い事短い文字数で内容たっぷりの文章でも書ければ話は別だがそれ以外ではな。

あぁ、そうそう。俺の日記を引用する時にはその引用した記事が個別になる様にきちんと明確に「この記事で引用しました」が分かる様な形で無いと話にならねぇから。

2010年08月21日(土)11時25分08秒