伊勢崎オートはムーンライトチャンピオンカップ争奪戦の2日目。今日のイベントのメインはゴセイジャーショーですよ。俺は「シェア出来る内容」にしか興味が無い。
「シェア出来ない内容」との比率を、95パーセントと5パーセント。それぐらいの割合で考えている。シェア出来る内容について言及するのが俺の95パーセント。
さて出発。そして到着。1回目のショーは横山かおりのお出迎えと同じ時間。そしてキラットもやってきた。ついでに言うならレースの真っ最中。
「レース。横山かおり&キラットのお出迎え。ゴセイジャーショー」と3つが重なると言うこの違和感。「伊勢崎はイベントが下手」と言うのは最初から知ってるんで。
「川口>船橋≒飯塚≒浜松>山陽>伊勢崎」だと俺は思ってるんで。「首都圏に近いから有名芸能人とか呼びやすい」と言うのが川口の強みか。場内汚ねぇけど。
「コラボ」と言う概念はねぇのな。まぁ所詮は単なる契約事項ですが。「ゴセイジャーショーに横山かおりを呼び込んでのアドリブトーク」とかあれば面白いのにな。
ねぇけどな。こうした「発展」が無いのがコンフリクトを悪しきとするマジョリティの特徴だから。キラットとゴセイジャーがタッグを組んで敵をやっつけるとかな。
司会の女「みんなでキラットを応援するよ!せーのっ!」 子供「キラット〜!!」 とかな。まぁ無理だろうから俺の脳内で妄想する程度にとどめておく。
ゴセイジャーショーの中身は「ピンクが敵に騙された」の1行で終了する。最終的には勧善懲悪か。俺はむしろこの手のショーでは司会の女と敵役の人間。
そっちの方が重要だと思っている。司会は特に重要だからな。ガキを乗せるのもガキを引かせるのも司会のさじ加減1つで可能だったりする。
案外そうした司会の女に対する重要性って言うのが認識されてねぇんだな。「司会の女」に対するニーズは思いの外存在しているんだが。どうもな
この手のショーを「やる側」と言うのはそこら辺の概念に全く気がついていない。何かをやるにしても「面白い!」と興味を持たれる様な事が出来ないこの衆愚。
「ゴセイジャーが場内を練り歩き」とかな。そう言う発展的な思考が衆愚には大体ない。えっ?何?イメージが壊れるって?「伊勢崎オートをパトロールします!」
とか言えばいいだろ。イメージを壊さずに実行出来る方法は幾らでもある。とりあえず「俺が脳内で妄想したゴセイジャーショーの方が楽しかった」で終わる。
俺の脳内妄想ゴセイジャーショー:横山かおりを壇上にあげてこの女の子がどうなってもいいのかゴセイジャー!とか言ってキラットも助けに入って勧善懲悪。
まぁそう言う事で。こうした「シェア出来る内容」が面白い!と言うベクトルを感じ取るのが他人の概念。内野や淡路が陥っている「関係者だからこそ」の思考の罠。
選手への取材や車券の対象になるコメント。と言うのはあくまでも「オートレースを知ってる人」向けの内容のそれで、世の中はオートレースを知らない奴の方が多い。
少数派相手に商売をし続けたら将来はねぇだろ。関係者だからこそ「オートレースを知らない人の気持ちが分からない」と言うマインドの不一致の罠にハマる。
…まぁいいや。最初からゴセイジャーショーにはあんまり期待をしていない。むしろ「ゴセイジャーショーを下敷きとして俺がどう行動するか」を消化する。
その為の紹介事項の方がよっぽど面白い。ゴセイジャーショーを下敷きにして何を語るのか。だな。俺としてはまず「ガキの生育状況」について書いておくか。
「ゴセイジャーショーが終わったら握手会&サイン&グッズの販売で親から金をせびる」訳だが、それを待っている間、と言う所にその親子の特徴が見えてくる。
あぁ。なるほど。最近のゆとり的なガキはこうやって育つのか。と言うのが良く分かる。最近のゆとり的なガキが育つ理由の最大級は「知の違いを認識していない」
これが理由となる。要するに「子供と言うのはバーサーカー。大人が知識で分かる事だって子供には分からない。子供の脳、と言うのはまだまだ未発達。
ガキを注意するのに口で注意する。その、親(大人)が、口で注意した事の内容を『子供の脳味噌で』理解出来る訳がねぇだろう?」と言う違いを親が認識していない。
それが理由。ではどうすればいいのか。「子供と言うのはバーサーカーなんだから叩いて分からせるしかねぇだろ」で終わる。痛覚。簡単に言えばそうなる。
かと言って暴力を振るうのではなく、例えば「子供が道路に飛び出しそうになったら腕を引っ張ってでも止める」とかな。子供は「腕を引っ張られた痛覚」で
「違和感」を覚える。脳より先に「心」に訴える行為をする。「叩いて」と書くと語弊があるな。「若干の痛覚を伴った行為で」と書き直しておく。それがない。
今の親子を見ていると、何かしらの脱法的な行為をガキがやった場合に口でうるさくガミカミママ、半ギレパパ。と言う親子が目立つ。そうじゃない。
暴力が悪しきとされているんだが子供の脳味噌の未発達さを考慮した場合には「痛覚」と言うのは割と有効になってくる。暴力を振るえと言うのではなく
「痛覚をコントロールする」と言う概念を使え。と俺は言っている。それでガキが泣き出したら?泣き止むまで泣かせればいい。その経験を心理で踏まえて
「あぁこれはいけない事なんだな」と言うのが分かるから。この手の「子供向けショー」で現代社会の親子のアレっぷり、に対する説明が出来る。1つ目の「消化」。
そして2つ目の「消化」な訳だが。日本人と言うのは「お上と下々。そうした概念の強烈さが目立つ。楽しむ楽しませる。の概念を構築しすぎ」に対するレジスタンス。
それをやると、とまむさんは敵視の対象にされる訳だが、俺はマイノリティなんで、コンフリクトが発生するのは当たり前。むしろ「コンフリクト上等」それが俺だから。
ゴセイジャーショーが終了したあとの握手会に俺も並ぶ。列が殆ど終わった最後の方のタイミングで。そして並んで一通り握手をする。握手会終了「直前」に
なって、俺がゴセイピンクの所へ行って「今日の主役。すげぇカッコ良かったぜ?マジピンク最高」とか言って手を取って腕を掴んで腕と腕を絡める様な形で
お前ゴセイピンクと恋人かよ。みたいな感じでのスキンシップを行った訳だが。当然スタッフからは突き放されるけれどもな。そうなるのは当然なんで。
あぁ。最初から分かってる。世の中はアンサングヒーローこそが重要で、分かりやすいヒーローヒロインなんかではなく縁の下の力持ち。司会の女が下手をやれば
子供は泣き出し親も怒る。スタッフが的確な誘導をしなければ列は烈火の如く怒り出す。こうした細かい所にこそ俺は魂が宿っていると考えている。
…但し。そう考えるのは世の中の少数派、マイノリティである所のとまむさんの感覚なんで。他人とは合わない。以前の性格がホント、戻ってきているな。
実感するわ、俺。だからこその「コンフリクト上等」な訳ですが。細かい所にこそ俺は魂が宿っていると考えているんだがこの手のヒーローショーのスタッフと言うのは
ある種の単純労働と認識しての「自分がどう誘導かけるかによって結果は大きく変わってくる」と言う事に正直全く気付いていない。だから対応がぞんざいになる。
「その」一連の流れは最初から俺は知ってるから。これが「マイノリティが受けるある種の弾圧」で「俺マイノリティだから。こうなるのは当然なんで。だからこその
コンフリクト上等と宣言している訳ですが?」となる。それ以上に重要なのはどうしてそう言う行動を起こしたのか。だからな。理由は簡単だよ。
「所詮握手会なんて流れ作業。ぶっちゃけた話労働の一環。汗だらだらかいてヒーローもんの服の裏とか湿ってんぞ的な状態でふぅふぅ言いながら頑張ったそれ
それらの結果に対しての『楽しめたぜ。格好良かったぜ』的な内容をどうやって本気で知らしめるのか」その「本気で知らしめる為には突拍子もない事をやる」
と言うのが俺の結論なんで。そこら辺での「ブレイク」状態。そしてマジョリティはその俺のマイノリティ的な感覚を「異物」として排除しに掛かる。
それが「コンフリクト」と俺が形容している精神の突外れ野郎と多数派に所在を求めて安堵している側との衝突だから。俺は衝突していいと思っている。
あぁ。本当に「サイト開設以前の性格を再び有している」訳だなと。その良さを実感する。それが2つ目の「消化」へと繋がっていく。話自体は割と単純だが
「ショーで演じた話が単純≠演者が適当に演じた」だからな。「話は褒めない。演者は褒める。特に今回の主役だったピンク(の中の人)は労働の割合が
他の色(の中の人)よりも多い訳で。そこら辺による「良く頑張ったのぉ」的な内容を一体どうやって伝えるのか。上(かみ)も下(しも)も俺にはねぇよ。
物事を真剣に伝える。その為には突拍子もない行動上等。マジョリティ側とのコンフリクト上等。流れに作業の握手会で流れて終わるだけの奴にはならねぇよ。
だから。その一連の流れに恍惚するのが2つ目の「消化」 …そう言う訳で「自分の行動を加味すれば面白かった」と言う結論になる。まぁそう言う事で。