以前にも少し書いたが「最近の3次元の女に魅力を感じない理由」な。答えは簡単で「現代社会は説明と機械。その両方において女の脳味噌は不利だから」
これで終わる。「理論的ではなく感情的」「機械を使う事が苦手」これが「男の脳味噌と比較して女の脳味噌が例外もあれど基本的には劣っている」と見られる点だから。
1:理論的ではなく感情的 → 現代社会はとにもかくにも説明が必須行為。これがこうなってこれこれこうなるからそうなる。と言う風に筋道を立てて説明する事。
その為に必要な概念を修飾として使っていく事。こうした概念のロジカルなやり方と言うのは男の脳味噌の方が比較的良く出来る事が多い。勿論例外も多数だが。
女のセリフとして良くあるのが「んもー!」「何よー!」と言う様な感情が如実に浮き出て来る様なセリフの数々。こうしたセリフは如何にも「女」だな。…と思う訳だが。
思考に関して全体的に日本も欧米化が進んできている。1バイト思考と2バイト思考。とまむさんが何度となくこのサイトで日記でバリバリ書いてきたその内容。
1バイト思考:島国ではない外国の場合1歩またげばよその国。と言う概念。よその国との取り決めを交わす時に穴の無い様に事細かく物事を決める為に
そうしたハッキリとした物言いや言語が形成される様になっていく。扉も外開きではなく内開きに作る事で外敵がやって来た場合にはつっかえ棒で開かない様にする。
こうした「外寄りの概念」の中でどうやって生き残るのか、と言う事を考えた場合、ハッキリクッキリとした理論を使って取り決めを交わしていく様な社会で生まれた思考。
2バイト思考:島国である日本の場合以心伝心曖昧模糊。そうした概念が美しいと言う風に思われてきている。良く言えば開放的。そうした概念の中では
割と事細かく取り決めをすると言うのではなくケースバイケースで物事を判断していくと言う概念の方が強くなっている。扉も内開きではなく外開きの概念の方が強い。
この日記を読んでる人が居たら自分の脳内で「扉を開けて外へ出る」と言う文字を見て(引き戸は除外する)その扉の開き方はどうなっている?と言う穏便的な思考。
この違い。今はネットだとかで簡単に情報が海を超える。「海」と言う概念が防御壁にならなくなってきている概念もある。「情報と言うツールによる時間無制限戦争」
それが今の現代社会。現代社会でも、勿論「その手の意味で『戦争は続いている。って言うか今も戦時中だろ』としか思えない」と俺は幾度となく書いてきた訳だが。
この場合、戦争を仕掛けた野郎に対して明確に否定するのかそれとも肯定するのか。どこを否定してどこを肯定するのか。そうしたエリアの区分を明確化する為にも
1バイト思考を有する事が有益な事となってきている。それが「ロジカルに説明する事が出来るかどうか」と言うスキルにスポットライトを当てる事となる。
そして 「ロジカルに説明する事が出来る脳味噌なのかどうか≒機械を使う事が苦手」 へと繋がっていく訳だが。女は割と機械が苦手。現代社会のデメリット。
2:機械を使う事が苦手 → 東京都近郊だとかに代表される大都市圏に住んでいる人間ほどブサヨになっていく。理由?「片肺」この2文字で説明する事が出来る。
電車で言うなら上りと下り。この概念を使う。「田舎者が東京だとかの都会に憧れる(上り)」「東京者が東京以外の田舎に憧れる(下り)」と区分した場合、
前者の方は割と良くある事なのに、後者の方は殆ど滅多にない事だったりする。
大都市圏に住んでいる人間ほど自分の周囲だけで満足する傾向が強くなる。
それが「ブサヨと同調する事」へと繋がっていく。東京なんて例えば肉や野菜や果物や。あるいはダムからの水の供給だとかのその手のライフラインの大半。
その大半は「東京以外」に頼っている。それを東京モンは理解していない。大体自分らが過ごしているフィールドしか知らないので「相互扶助」の概念が無い。
田舎者は「都会に憧れる」と言う概念があるので「田舎と都会」の両方を知っている。しかし「東京モン」と言うのは田舎の事を殆ど考慮しない。片肺的な概念になる。
一例を分かりやすく書く。最近は声優でも割とスマートフォンを持つ様になってきた。…まぁ例の毒リンゴ携帯ですが。その毒リンゴ携帯は地方じゃ使えない。
何故ならエリアが狭いから。狭いと言うか「整備されていない」から。但し都心に限定すればまぁまぁそれなりには使える。都心だけ整備すれば人口比において
投資額は少なくて済む。それで東京モンは満足してしまう。地方の事を考えないから。「地方」と「都会」の概念の差異はこうして生まれていく。
地方をないがしろにする最低な都会人と言う概念もこれで「自然発生」となってしまう。 とまむ「田舎とか地方とか知らねぇんだな。コイツ」 で終わる。
地方をおざなりにしがちな都会人は自分の住んでるトコにしか思いを馳せないので片肺になる。地方に住んでる奴は都会情報だとかブサヨマスゴミだとかの
連中が吐き出しているのでそこら辺で否が応にも地方と都会の両肺の概念を有する事になる。「都心だけ整備すればいいや」と言う悪しき考え方に対しては
「都心だけではなく田舎も含めて日本国。だろ?」と言う概念で対抗する。片肺的な人間ではその手の概念は所有しづらくなっているので傍若無人と化していく。
結局はその傍若無人と言う感覚の如実化こそが「都心に住んでる奴ほどブサヨ臭くなっていく(ブサヨマスゴミの東京一極集中的なスタンスと同調していく)」事になる。
機械を使いこなせるかどうか。女の脳味噌はそれが苦手。だからなんでも携帯で済ませる。「携帯サイトや携帯ブログ」「パソコンを使いこなせない」大きなハンデ。
勿論女でもバリバリパソコンを使う奴は居る。但し。とまむさんが男と女の脳味噌の違いを比較する為に実験した「全然違う名前であえてアメブロを開設し、そこに
適当な記事をいくつか書いた内容のそれを使って、女あるいは男の他のアメブロを使っている連中にペタ返しを狙ってのペタを付けてみる。と言う実験を行った。
女の大半は携帯からのアクセスを示すマークがついていた。「なんでもかんでも携帯でしか出来ない」事の証左。携帯への依存度は女の方が平均的に見て高い。
女は携帯を割と良く使っている割に機械が苦手。下手な携帯本体を選び、下手な料金プランを選択する。この手の「下卑た行為」は割とその代金が高くつく。
3:女は男と比較して余計に金を使う → 男の収入と女の収入。大体の場合男の収入の方が金額が高い。それを「嫁から小遣いを貰う」と言う様な不思議な行為。
元々旦那の稼いだ金だろう?それをどうして妻が上から目線で金を管理してるんだ?…となる。この違和感。この違和感に対してとうとうレジスタンスが始まった。
どうして今なのか。答えは簡単。「ネットツールだとかの個人対個人の情報ツールが広がり今までは単純にブサヨマスゴミがシャワーの様にして上から下へ。
そうした全体主義を採用しての「黒を白」だと偽っておけばそれだけで洗脳が可能だった訳で。…しかし個人対個人の情報ツールが別の世界を構築した今となっては
「やっぱおかしいと思うよな?」「お前もか?そうだよな、やっぱおかしいよな?」と言う「個人と個人」と言う経路を辿っていく事が多くなっていく。伝達経路の変容。
もはや「全体主義ではコントロールが効かなくなりつつある」状態。そしてその伝達経路の変容を経験すると既存のブサヨマスゴミでは満足できなくなっていく。
最新秋物ファッション。ネイル。エクステ。美容室。化粧品。化粧水だとかの肌ケア商品。バッグやブーツと言った装飾品。デコりたい的なデコ用パーツ。
こう言った「1:男はまず買わないし買ったとしても金を掛けないであろうベクトル」の商品。
もう1つは「2:もっと料金プランは下げられるのにバカ高い金を支払わされているケータイ料金」の様なプレミアム(上乗せ)
その2つの軸が生み出した「余計な出費」によって「女は男と比較して無駄に金を使う事」が多くなる。そして「男の収入と女の収入なら基本は男の方が多い」訳で。
理論的な思考が苦手な分発言や行動がガキっぽく見える。機械を使うと言う行為が大体苦手。理論が編み出しにくい分「金食い虫」的な行動を行う事が多い。
この3つが「最近の3次元の女に魅力を感じない」理由。俺が「性別」ではなく「脳別(のうべつ)」と言う造語を使って説明している現代社会においての本当の性区別。
逆に言えば「そこにさえ注目されれば割と改善の余地はある」と言う事でもあるんだが。どうもとまむさんの文体と言うのは希望があんまり感じられない感じだよなぁと。