2010年09月24日(金)先鋭なる先人の血肉に憧れて

「関係者脳(仲間脳)」について説明しておくか。要するに「何かしらの行動をする。それは誰の為?」「何かしらの行動をする。それは誰に向けて?」

この違い。この違いを認識していないと誰に向けての情報発信なのかを認識していないと知ってて当然と言う概念で以て知らなくて当然の連中に向けて説明する。

最近の日本人の大多数はその2つに関してセパレートする事を試みていない。俺?俺は普通にやってるんで。それを実行する為に必要な方法は仲間意識を捨てる事。
例えば「声優の田村ゆかり」「声優の小清水亜美」で、日本人と言うのは肩書きがまず前に出る訳だ。そう言う修飾語。俺はそう言う肩書きを嫌うんで。

まずは「個人」で考える。…つまり「田村ゆかり(声優)」ぐらいの勢いでな。そしてその括弧の中身は日時や場所や状況に応じてコロコロと変わっていく。

俺:誰の為?「自分の為」 誰に向けて?「自分以外。つまり仲間と言うカテゴライズではなく概念を知らなくて当たり前と言う連中に向けて発信しても違和感が少ない」
他:誰の為?「他人の為」 誰に向けて?「自分以外。ただし自分のマインドと他人のマインドは全く異なっている。と言う認識がないので自分に向けて発信する
そう言う概要で他人『にも』発信してしまうので何がなんだかさっぱり分からなくなる」

こうなる。この違いな。それをセパレートしているかしていないか。とまむさんは仲間と言う意識もなく肩書きなんて言うのはたまたま一致した風味ぐらいの
それとしか認識していないんで。まずは「俺個人」と言う概念を優先させる。個人、個人、個人。それぞれの「個人」の能力が高まれば結果的に「個人ズによって
組まれた団体(組織)の力も強くなっていく」と認識している。ホント日本人の大多数って言うのは肩書きばかりしか見ていない。だから俺はネオ日本人と
自分をセパレートする事によって明確に認識が違っております。と最低限表明しておかなければ単なる埋没者にしかならない。「自分が」生きてる理由が不明になる。

そこら辺の違い。まずそれがあるから俺は他人とはコンフリクトしまくる事になる。あぁ、コンフリクトする事はもう当然なんで。問題なのは「コンフリクトした後」に
俺は一体どう言う風に行動すべきなのか。だから。重要なのは「コンフリクトした後」「前よりも後ろの方が重要」だから。発つ鳥あとを濁さず。そうした現実。

そう言ったセパレートするしてないの概念で「セパレート出来ていない(知ってる事前提で説明してるって概念が強過ぎる。仲間じゃない奴に説明すると言う概念で
物を説明した方が分かりやすいのに仲間に説明すると言う概念で物を説明してしまっている)連中」があまりにも多過ぎる。と言うのが日本人クオリティなんで。

そことは違う。だから衝突する。衝突上等。但し衝突しまくる事は単なる時間の無駄。「最小限」の回数衝突すればいい。わざわざ他人と衝突しまくるメリットは何もない。

2010年09月24日(金)18時50分18秒