2日の飯塚オートでも宮本が12レースで壊れた実況。あぁ。それはいつもの事なんでどうでもいい。なんかアンチがうるさいな。としか思えない展開に俺失笑。
とまむさんはこの例の宮本の実況についてどう思ってるんですか?とか聞かれたら「金が動いてる事だから」の1行で全てが終了するだけなんで「特にないです」と。
要するに。人間と言うのは「人と違ってる物」に対して耐性が無い。「すぐに話題に登る」ように人間の脳味噌は出来ている。つまりこれを利用するかしないか。
問題なのはむしろそっちであって「宮本が風変わりな実況をする事」なんかよりも「風変わりな宮本の実況の内容をどう利用するか」だから。そこに展開が向かない。
頭の悪い奴はそこに展開が向かないんでその実況内容を責める事しか出来ない。違うなぁ。そうやって他人がどうのこうのと言う他人のターンではなく自分のターンだろ。
今年のオートレースグランプリの場外企画で浜松の詩織が伊勢崎にやって来た時に、トークショーのMCとして眼鏡っ娘でお馴染みの甲斐佑里も一緒にやって来た。
その時に、大体の周りの連中はお写真(略)サインを(略)みたいな事とかもやっていたからな。あぁ。俺としては「顔も名前も知らない連中がオートレースファンを
装ってなんかあれこれやってんな」としか思えない。正直「名前も顔も知らない他人に愛想よく出来るほど人間って出来てねぇだろ?」としか俺は思わない。
ではどうやって話の接点を作るのか。話の部分的な接点を作る1つの方法として俺が採用しているのは共通項。つまり「自分の脳味噌と相手の脳味噌」この感覚。
自分の知ってる事を相手も知ってるとは限らない。そう言ったセパレート的な概念を有していない連中が果てしなく多過ぎる。そこがな、日本人の頭の悪い所。
「自分の脳で把握出来てる範囲はそこからここまで」「相手の脳が把握出来てる範囲はここからそこまで」と言うセパレート。それを意識した上で部分的な接点を作る。
比較的割と合致しているその部分を抽出するにはそう言った風変わりで記憶されやすい内容を共通項とする。 とまむ「甲斐さんはじめまして〜時々MCでの
トークを聞かせて貰っております〜お写真よろしいでしょうか?」 それでその後に「撮影、いごきます、3秒前2秒前1秒前、各車一斉にスタートギャオ!」 と言う。
ギャオ!のタイミングでシャッターを押す。そう言うやり方。 「あぁ本当にこの人(とまむ)はオートレース知ってんだな」 みたいな所で部分的な接点を作り出す。
あとはそこからオートレーストークに発展すれば単なる他人と言う最低ランクからの脱却は可能になる。…こうやって「部分的な接点」「覚えやすい所」を利用するんだよ。
今はそう言う社会。他人に対してどうのこうのでマイナス評価を自分が感じてそれをその他人に押しつけるのではなくむしろ「自分が、俺が」利用する。今はそう言う時代。
ホントサイト開設以前の性格が戻ってきたな。そこにサイト開設以降の知識を微塵として振りかけてみる。現状はそうして出来た「第3の性格」を俺は採用している。
競馬なら的場文男の独特な乗り方。競輪なら脇本雄太の徹底先行。オートレースなら穴見和正のインベタ走法。 その手の風変わりな内容を見せてそれでも相手が
その競技に興味を持たないと言うのであれば諦めろ。知ってる奴って言うのは知らない奴に対して饒舌と化してあれもこれもと喋って教えたくなってしまう。
それが「関係者脳」だと俺は言っている。いきなりあれこれ言ってもわかんない。まずは分かりやすい所、目立ちやすい所から入っていく。そう言う形。
そう言う形を取る為にも宮本の実況は必要不可欠。「好きか嫌いか」って言う単純な話で物を捉えるバカ多過ぎ。それを「一体どうやって利用するのか」を考えろ。
「スタートは空気を切り裂く!捌きは愛に飢える男!タツ!タツ!タツダンス!有吉辰也、本日も先頭奪取!前へ躍り出ました!」(中略)「あと2周かぁ〜〜い!!」
「王の中の王よ!女神の愛を一身に受けしようよ、汝の輪、愛戦士有吉辰也、ホームストレッチ、見参つかまつる!」
2日の12レースの実況はこんな内容だったな。相変わらずなんか壊れてんなぁ〜とか思う様なそんな実況内容に苦笑しながらも嫌いじゃないと言うのが俺の印象。