俺が書く内容は最低限で十分。全く書かない言わないと言うのは「知らないと見なされる」だけの事。現代社会をどう生きるか。「情報と言うツールを使っての」
時間無制限、手段の綺麗汚いも問われない醜悪な戦争の真っ只中だと俺は考えている。そう言う中でどうやって生きていくのか。あぁ、多少日記の書き方でも変えるか。
・自分が思っている事は最低限にまとめての圧縮化された内容でぶっ放す。 ・それは自分の為にやると言うのが比率の大部分を占めている。
・他人は所詮他人。自分の脳味噌と他人の脳味噌は別。そこのセパレート感覚が無ければ単なる衆愚と同一化してしまう。それは絶対に避ける必要がある。
以上。…ま、そう言う訳でtwitterはバカ発見器だと個人的には思ってるんで。「時系列と内容の系列が一致しないんで見てて気持ち悪くなる」と。どう言う事か?以下。
「投稿する投稿する投稿する」 → 投稿した内容は新しい内容が先(上)に来て、古い内容が後(下)に来る。 → しかし普通文章は上が古い内容で下が新しい内容。
(例)ブログ:今日は、友達の誰々と、なんとかって言う場所に行きました。何々を食べて、何々を見て、とても楽しかったです。おわり。
(例)twitter:(上) ツイート相手に:とても楽しかった → 何々を食べるなう → なんとかって場所なう → 今日は友達の誰々といるよなう (下)
ブログとtwitterは相性が悪い。時間軸の表示が逆転してるんで順手と逆手の違いの様な違和感を受ける。それ以外にも色々と使いづらい点はあるんだが
ひとまず人間の目で見て分かりやすい違和感と言うのはそこにあるんで。…そして「システムとは別の概念である」所の「内容が浅はか」とも相まってバカ発見器となる。
日本人の大衆はハレとケの違いを意識して普段かしこまってる分twitterの方で地を出す事でそのハレとケの落差で第3者が愕然とする様な状況を結果的に作り出す。
これがな。実に浅はかになる。俺はハレとケの違いって言うのが殆ど無いんで。大体いつもどこでも同じ様なトーンで動いている。この日記の文体を見ても
よーく分かる通り「実はとまむさんの日記は文語と言うよりも口語に近い文体のそれを採用している」事が非常に良く分かる。まるで俺が喋ってる内容を
そのまま速記か何かで記した様な感覚となっている。まぁこれが親指シフトを使っていると言うある意味何よりの証拠でもあるんですがそこら辺の口語に近い
文体とも相まって「ハレとケの概念は俺の中では消失している」と言う実情なんで。俺の場合はハレとケの違いを意識してtwitterでメッキが剥がれる展開が無いんで。
まぁそう言う事で。「1:システムが1バイト思考の連中によって作られている。2バイト思考が多数の日本人には向いてない」「2:ハレとケのシステムの落差」
この2つを理由にして、俺は「使えないツール」と考えている。…って言うか。既にサイトやブログを持ってる奴がtwitterにハマってそっちばっかり更新して
まるで愛人に現を抜かして正妻をほったらかしにする様な「浮気か?おい。不倫か?おい」としか思えない様な構図になっているんでそこも含めて反吐を出す。
…まぁいいや。俺には関係ないんで。今は「肯定の時代ではなく否定の時代」だから。マイナスをどんどん使っていく。しかし否定しまくると言う概念は
基本的な人間感情には反しているんで。だからとまむさんの使用頻度も「最低限」と言う風に決めてあるんで。そこら辺のさじ加減が実はとても重要ですと。