2010年10月22日(金)ミニカレーざるそばセット

最近はどうも他人が行ってる内容を見て「えっ?何それ」と思う事がかなり多い。…要するに。例えばHTML5だとかCSS3だとか言ってるウェブ関連の新技術。
そこら辺。…それってさ、どう考えたって「他人に見せる為の技術」でしか無いよな。…あぁ。やっぱり「日本人」にウェブは不向きだな。かなり「不向き」だな。

としか思えない。…要するに。あなたはどうしてネットにブログや日記だとかの文章を書いているんですか?この問いにきちんと答えられる奴が少ないみたいな事で。

俺?「自分で使う為に書いている。自分で使う為に作っている。ネットワークに情報を上げておいた方がいいから上げている。上げておいた方がいいと考える
その理由は2つあって、1つは携帯電話などのポータブルデバイスがある事によって外からでも更新を掛ける事が可能になる。こうした多元的な更新方式を
採用する事によって日常生活から著しく『更新』と言う概念ばかりを持ち出して逸脱するのではなく『更新』と言う概念がケとして組み込まれるこの日本人『らしい』
ネットとの向き合い方、更新の仕方、を俺は採用しなければならないと考えているから」そして「もう1つの理由は、情報と言う名の兵器による時間無制限の
情報戦争と言う現代社会においての戦争が明確に存在しているから。…つまりあなたの立場はどこにあるんですか?と言う様な明確性質。それが問われる現代社会。

…だから。要するに相手を明確に否定すると言う事は、その相手の立場を、あぁなるほど、お前はこれこれこう言う理由でそこにいるんだな。と言う風に
相手を否定しようが肯定しようが、結局の所『相手がどう言う人となりであるか』を判断しないとそう言った行為は出来ない。つまりスタンスを明確にするには
自分の同士を探す以外にも『自分が仲間とは思えない、反ベクトル染みた連中をいわば踏み台の様な使い方で否定する』事による明言」 と言うパターンもある。

俺が「現代社会は肯定の時代ではなくむしろ否定の時代。ポジティブではなく人間の本質はネガティブ。ネガティブでゴシップ。ゴシックじゃないよ?(笑)」と見る理由。
何がポジティブ思考だか。人間の基本はネガティブ。「その基本」をどうやって現実的に省みて自分の現世でそれを生かしていくか。むしろ俺はそれがテーマ。

世の中の大半は「見せる為」に書いている。俺は「自分で使う為」に書いている。ネットワークに上げている理由は更新に便利だからと言う理由と
相手の反立場を採用する事で自分の立ち位置を明確にすると言うビビッドなやり方、つまり人間の基本はネガティブなんだから『否定的』な形を使った方が
相手にきちんと明確に伝わる事が世の中の事例の大半だから。…こうなる。相手に伝わらなければ大半の事は意味がない。それを理解している奴が少なすぎる。

…まぁいいや。それが理由なんで。だから最初に書いた通り「HTML5もCSS3も、それって相手に見せる事が大前提だよな。…むしろ日本人には向いてない。
日本人の本質は、アンサングヒーローであり、神様が細部に宿って貰う事であり、最小限(ミニマム)の単位で物を見る、あるいは見せる、と言ったベクトル」だから。

俺は「ネオ日本人」と言う呼称を自分に採用している。何故「日本人」と言うベクトルを否定するのに「日本人」と言う呼称をつけているのか。それが理由。
基本的には「温故知新」そして「現代社会は情報と言うツールを使った時間無制限の情報戦争。かなりの勢いで1バイト思考にまみれた連中からの情報が
海外に入ってきて、なんでもかんでも欧米に、欧米っぽい話になってきて、段々日本人独特の2バイト思考に代表される内容の良い所がスポイルされて消えていってる」

と判断するから。…例えばの話をするか。最近ではlitebox系による画像の表示が盛んになっている。…しかしこれでは「どの写真にどれぐらいのアクセスが来たのか」
が実は分からなかったりする。…ネオがついてるとは言え「日本人」である所のとまむさんとしてはどの写真にどれだけのアクセスが来て、誰がこの写真を
自分の心の中の「お気に入り」に入れたのか。…そうした「以心伝心」にも似た内容を取り出して判断する。…と言うのが「日本人らしいウェブの使い方」なんで。

つまり。「liteboxで魅せる」事ばかりに注力している様なHTML5やCSS3と言った「欧米的≒1バイト思考」の方が正しい、魅力的、使い勝手が良い…と
「何故か」判断されてしまっている。正直「全く話にならない。それは欧米的1バイト思考のやり方であってネオ日本人たるとまむさんは2バイト思考の側で考える」だけ。

但し。現代社会は結局1バイト思考との戦争、せめぎ合いでしかないので「理論には理論で抵抗する以外のやり方が見えない」と言う事で理論「も」採用する。
それが「1バイト(欧米的)思考」と「2バイト(日本人的)思考」を両輪で回していくと言う。自転車の前輪と後輪の様な感じで回していくと言う「3バイト思考」の概念。

「欧米的(欧米的日本人も含む):liteboxでキレーキレーに見せて、どう?わたじってすごいでしょ??的な見た目重視の様なやり方で俺には好ましく思えない」

「とまむ的3バイト(1+2による両輪的)思考:写真は見せるだけ。どの写真にどれだけのアクセスが来ているのかを見てホスト名と照らし合わせる。それを見て
あぁ、この人(ホスト)はこの写真が好きなのか。なるほどな。と思うだけ。liteboxの様にあれこれ目立たせるのではなく『目立たない』やり方の方を
俺は好んで採用する。派手に、ではなく、地味にやる。提供するデータは最小限。写真にいろんな画像パーツを付加して出力させるやり方は好きじゃない。
あくまでも、見てもらうのは写真だけ。…そしてサムネイルみたいな形で画像をimg srcで貼ってしまうとその分転送量が増えてしまう。俺は余計な転送量を
増やす行為が嫌いなんで。…そこはあくまでも写真に対する短文のキャプションで勝負する。日本人なら『俳句』『短歌』…こうした概念は当たり前だろ?…となる」

例えば。サムネイルを見せてそれをクリックするとliteboxを使って動きのある(笑)ウェブサイトとして写真を表示しましょう!!(笑)と言う最近の欧米的な
まぁ元々ネットは欧米的な物ですが。少なくとも日本の江戸時代から江戸城の中にて『いんたぁねっと』なる物が平賀源内辺りの科学者(?)的なイメージで
研究されておりました。…なんて言う事もない訳なんですが。…どうも日本人の「ウェブ」に対する考え方は『欧米の猿真似』としか思えない訳なんだが。

俺は「ネオ日本人」なんで。…見せるのは写真。あくまでもそれ中心。静的に見せる。…動的にではなく。それ以外のキャプションは最小限でいい。
短歌、俳句。こうした「五、七、五」に代表される日本的文化のそれをむしろウェブと言う欧米的な話の概念にぶち込んで行け!!!…としか思えない。
欧米的1バイト思考が中心のネット(技術、あり方、ツールなど)界隈に日本人が囚われるのではなく、むしろ日本人が2バイト思考を『ぶち込んでいく』方がいい。

…いつまで先の大東亜戦争よろしく「欧米に負けている」おつもりなんでしょうか。ねぇ?…だから俺にはそうした「見せる」ベクトルが「全く理解できない」となる。

「静的。以心伝心。最小限。うるさくしない。短文による想像の世界」 …それが「俺の求めるサイト像」で「俺がネオ日本人と、あくまでも日本人である事を
きちんと強調した内容で自分のスタンスを(ある程度の否定を使って)明確に表明している理由」となる。 …そうした想像の世界が「日本人的ウェブの使い方」。

俺はそう判断している。派手派手しく画像はりまくりリンクはりまくりサイト動き(動かし)まくり!…だとか言うのは好きではない。

俺が最近twitterを否定する発言の根拠としているのが「ブログが放置されて可哀相」に代表される、例えば「正妻を置き去りにして浮気相手と遊びまくる」様な事にも
例えて説明している内容な訳で。…そこら辺での、いわば「ブログを(擬人化して)説明する様なやり方」は「とても日本人的」ですね。…と。

例えばOSを擬人化したりあるいは痛車とか言って飾ったりするのはそうした日本人的な「2バイト」をとても印象付ける様なやり方の最たる物なんで。

だから。しかし擬人化して説明しているだけであってブログはブログ、twitterはtwitter。そこをどうやって融合し、ツールとして使いやすくするべきなのか。
そう言った「フローチャート」に近い内容を説明する「事に限っては」1バイト思考、つまりロジカルに、ある程度のルーチンを使って、そう言うやり方を以て
説明を行った方が分かりやすい。…つまり以前にもちょろっと書いたが以前の日記は手をあちこちに出していたのでちょっと分かりづらくなっているんで簡潔に。

「ブログに投稿した内容をtwitterにも同時に投稿。twitterの文字数制限を考慮してブログに投稿した内容から本文を前半の70文字程度で切り出しておく。
投稿した内容を判断して『何文字未満』だったらそれ専用の表示スペースをブログ内に設けて、普段の記事とは別に表示を掛ける、文章量の大小で調節を行う。
ブログに投稿した内容でもあるので、twitterに投稿した内容にはブログへのリンクを短縮URLで掲載し、××から(アプリ名とか?出る所)の表示も工夫を掛ける。

例えばブログ名をそこに入れるとかな。とまむさんがブログをやっていたら「とまむのブログ」みたいな内容の名前を出しておく。…つまり。

「今なんとか線の何々駅の近くでどうたらこうたら…(twitterへはここで文字数制限を入れる。その後ろに短縮URLを使ってアドレスも張る) とまむのブログ から」

そしてブログの方ではもうちょっと長く「(どうたらこうたら)で、お土産の何々を持って誰々さんと待ち合わせ、あぁだいぶ日が落ちるのも早くなったなぁ」で終了する。

簡単に言えばそんなやり方なんで。…この様にして「順序を決め」「具体例を挙げ」「こうなるからこうする、と順繰りを行う」説明のやり方は1バイト思考のそれに近い。
あくまでも物事を説明する際に必要な流れの流し方に関しては「ハッキリとした物言いが言語の中軸を担っている(担わざるを得ない)1バイト思考の方が使いやすい。

だからそっちを使っているだけであって、日本人の根幹である所の文化や風俗や、対人対物に対する接点の有し方。…と言う概念に関しては、俺は「日本人」
と言う概念を最大限に生かしていく事にする。…欧米的臭いサイトの見せ方に興味はない。俺は日本人だからな。最小限で静的で静かなやり方を好んで使う。

秋の無言の。満月が水面(みなも)に降りる。寒い風を首筋で感じる様な。特に周りを遮る物も視野から外れる広々とした草原と細い川。そこですっと立つ。黎明。

2010年10月22日(金)06時13分16秒