パチンカスへの潜入取材(の様な物)がどうたらこうたらで「最近の若者のパチンカス離れ」みたいな事がそう言えば取り沙汰されていたなぁ。と言う内容を思い出した。
それに対してあーだこーだとブログに書いたりしている奴は多いんだが、どうも本質を突いてないなぁ。としか思えない内容が並んでいたんで最小限書いておく事にする。
若者がパチンカスから離れている最大の理由は「若年時の経験の有無。若年時の経験の(ベクトルの多少が多分に含まれるその差異)の有無」が最大の理由だから。
1:人間の本質は若年時に経験した事項で決まる。三つ子の魂百まで。 2:年代の違いによって生育環境はまるで異なり、その結果、同じ様な目鼻口した人間でも
まるで地球に似た星がこの世界にはあって、それを仮に「地球ミラー(サーバー的な意味で)」と名付けたとして、あたかもその「地球ミラー」からやって来たかの様な
激しい違和感のある人間となる。別の年代はそれを認識出来ない。何故なら「自分らにはその経験が全くない」から。「人間に似た別の生物」と言う認識に近くなる。
この「1と2の理由で激しく揺さぶられている」と言うのが「今の若者(1990年から2000年生まれまでと仮定する)の生育環境」を知らない「ジジイ、ババア」の現状。
…こう言う連中は「ゆとり」を知らないらしい。例えば自分のSkype IDを公開している、1990年半ばに生まれた、今例えば高校1年生ぐらいの女の子。
そうした女の子と会話をすると、一体どの様な反応が帰ってくるのか。「…いきなりタメ語かよ。すげぇな」と言う感想がまずは出てくる。それが俺の見立て。
1990年代半ばに生まれた様な今の高校1年生を前後する様な年齢の人間は、ゆとりなので「いきなりタメ語」「割とフランク、フレンドリー」「イチャイチャベタベタ。
それよりは若干薄いベクトルで他人に接してくるんだが、自分とは合わないと分かった場合には割と容赦なくポイ捨てする様な性格に言動が割と目立ってくる」訳で。
こうした概念は「世代の違う人間にはない。世代の違う人間には分からない。世代の違いと言うのは、もはや
『断絶』の2文字で書いた方が分かりやすい。
それが現実。…この間の「みつどもふぇす!」で、下野紘が「ニューヨークへ行きたいかー!」と発言していた訳で。…あぁ。確かにそろそろ加齢臭がしてくる頃だな。
今のアニメを見ているゆとり連中を上記と同じく高校1年生を前後とする様な年齢だと仮定、1994年生まれで2010年時点で16歳と仮定した場合
アメリカ横断ウルトラクイズは1998年の「今世紀最後」以来12年行われていない。…つまり、1994年生まれの人間の、4歳の時の出来事が最後となっている。
あとはその出生年を前後しながら「当時何歳」みたいな概要を提示していけば、如何に「世代の違いは断絶と書いた方が現実的」とする俺の感覚が理解出来るかと。
今でこそ福澤朗は「バンキシャで嘘を吐く奴」みたいな印象が、ニコニコ動画辺りで「ネトウヨホイホイ」とタグをつけられてもおかしくない様な動画を見ての2010年の
10代が持つ印象だろうけれども、昔はプロレス中継とかやったり、高校生クイズの司会をしたり、とんねるずと番組を持ったりしていた事もあったんだぞ?…となる。
但し今の10代にそんな事を言ってもチンプンカンプン。2010年の現代において,1990年以降に生まれた「今の10代」には「その経験が全くない」訳で。
…この間の「みつどもふぇす!」に参加した、とりあえず「みつどもえで丸井三姉妹を演じた声優」と「下野紘」の事務所プロフィールを見比べればそれが良く分かる。
…とりあえず「ネッツトヨタスペシャル 今世紀最後 史上最大アメリカ横断ウルトラクイズ」が放送された1998年(もしもし亀よ)の時点で何歳だったか。考えろ。
高垣彩陽(たかがき あやひ:1985年生まれ)、明坂聡美(あけさか さとみ:1988年生まれ)、戸松遥(とまつ はるか:1990年生まれ) …だからな。
1998年の時点で当時何歳だったのか。「物心」だけ考えれば全員「その頃にはついていた」とは思うが、ビデオとかで最近見返しました、とか言う様な
展開でも無い限り「細かくは覚えていない」「自分の親が当時見ていた」ぐらいの内容だったろうなと。この『断絶』ぶりを理解していない。それが今のジジイやババア。
高垣彩陽(「翼よ、あれがパリの灯だ」のリンドバーグがフランスについたとき、最初に言った言葉は「ボンジュール・パリ」である?○か×か?)
明坂聡美(アメリカ大統領選挙クイズ。アメリカの州の名前が浮かんで来なくて、苦し紛れに言った州の名前が『ハワイ』で当時の代議員数は4人)
戸松遥(アメリカには時差がある事を利用して、1日に2度、10時を体験したバックトゥーザフューチャークイズ)
大体こんな感じか。下野紘が「ニューヨークへ行きたいかー!」と発言した訳で。そこに合わせて考えてみる。それが生まれ年。それが生まれ年の特徴。
今の若者はとにかく趣味が多種多様。携帯電話をいじくる事から始まって、携帯ゲームにインターネット。パソコンも使うし動画もバリバリ見るし。まぁそんな感じで。
…そんで。パチンカスが隆盛だった時代を、とりあえず下野紘が「ニューヨークへ行きたいかー!」と発言した事に敬意を表して1980年代後半(1987年)として
その頃に遊んでた連中を、とりあえず「当時18歳」と仮定すれば「1987年(18歳)+23=2010年」と言う事で答えは41歳。2010年の現代で41歳となっている。
その「以前若者だった連中(が何をして遊んでいたのか、そのベクトルとなる事項の数と、その事項がきちんと若者に降りてきていたかどうか)」を比較して考慮する。
こうした相対的な評価。と言うのは日本人(2バイト思考)が苦手とするその最たる所。あたかも自分の考え方が絶対に正解だと言わんばかりの強烈な態度。
そうした悪臭。それを持っているのが2バイト思考の日本人クオリティ。とにかく「他者との比較を嫌う(コカコーラとペプシコーラの比較のコマーシャルとか見ないし)」
日本人らしい展開だな。…としか思えない。絶対評価が必要な時も世の中には存在しているんだが、相対評価が必要な時も世の中には存在しているんで。
1987年のゲーム(ファミコン) 2010年のゲーム(プレステ3、PSP、任天堂DS、携帯ゲーム、ネット上でのオンラインゲームなど) …これだけ違う。
重要なのは「数」と「情報量」と「ゲームの攻略に行き詰まった時に他人に聞けるだけの他人ネットワーク(人数の多さ。情報の伝達速度の遅延度合い)だから。
「大衆に降りてきているゲーム」で考えた方がいい。もちろん若者が遊んだりして時間を使うのはゲーム以外の物もある。あくまでも「一例」として出しただけだから。
今のゆとり染みた若者がパチンカスの危険を大衆レベルで認識しているとは到底思わない。「若年時に経験した事が無いから近寄らないだけ」こうなる。…あぁ。
そもそも今のゆとりは「どうして1987年なんすか?」と聞く訳か。これが
『断絶』の現実。人間の本質は若年時に経験した事項で決まる。
「三つ子」の魂百まで。
まぁそう言う訳でパチンカス連中が顧客をバカにした発言までもを混ぜてまで「粛清」のムード漂わせる様な行為を行っていると言う事はそれだけ逆に言えば
現代のパチンカス業界は相当に追い込まれていると言う事でハハッワロスwの一言で済ませればいいだけの事なんで俺らは淡々に、これこれこう言う理由で
こうなりました、と言うのを分かりやすく順序良くきちんと筋道を立てて説明するだけに尽きるんで。今の団塊を含めた連中が任天堂DSなんて知ってる訳無いだろ?
せいぜい「脳を鍛える奴でしょ?」ぐらいの認識しかない。それが「世代と言う名の
『断絶』だと。その現実を認識してない奴多すぎ」で話が終わる。
あぁ。パチンカスの経営者は若者から金をぶん取るんだったら携帯電話で何かをする。と言うベクトルに目を向ければとりあえずの収入源にはなるから。
…但し。可処分所得を考えた場合には「猶予期間として、2010年の今の時点でジジイババアから金をぶん取るだけぶん取ってトンズラする」方が金になるけどな。
…但し。そうしたジジイババア連中にも「孫が居る。子供が居る」事を考えた場合には「2010年の時点での若者を悪く言う様な行為」で実は自滅してるんだけどな。