外出。最近はスクリプトばっかり書いていたんであんまり運動していなかった。と言う事で自転車で周遊的なやり方を使って外出。周遊と言う言葉で思い出したが
今年の群馬県民の日はフリー切符でも使ってどこかしらに行こうかしら?みたいな事でも少し考える。そして外出開始。あぁ。最近はそう言えばtwitterが流行しているな。
俺はtwitterが嫌いなんで。理由は2つある。1つは「スクリプトの流れ。全体的に見て使いづらいサイト構成」で。もう1つは「人間のハレとケ、その落差の醜さ。仲間意識」
理由はその2つなんで。前者はスクリプトを書き換える、流れ方を変える事で解決可能だが後者は今の日本人の大衆の物の考え方では解決不可能だろ。と見てる。
1つ目の理由について。twitterばかり更新してブログを放置している原田ひとみの様なアホ女。こう言う連中に代表される様な「ブログがtwitterに浸食されていく」構図。
「twitterでもつぶやきましたが」と前置きする奴のなんと多い事か。「誰もがみんなお前のtwitterを見てるとは限らないんだが?」となる。ここがな。脳味噌の違い。
日本人の2バイト思考の悪しき所は「以心伝心。ツーカー的な関係を前提して物を語る事がある」だから。俺?俺は多少見下してる様な感覚で大変不快なんだが
「自分の脳味噌で把握している事を相手の脳味噌も把握してるとは限らない。他人は所詮他人。そうした内容で以て、自分の知ってる事知らない事。
それとは別のベクトルで、相手の知ってる事知らない事。それをすり合わせていく行為が重要であって、以心伝心、知ってる事前提で物を語るのは基本愚行」だと。
そう言う風に考えている。だから「浸食されて当然」みたいな概念を持っているのは、まるで「正妻をほったらかしにして浮気相手と遊んでばかりいて
正妻がその事について夫を問い詰めてみたら『男は外で浮名を流して当然なのじゃ!』ぐらいの事を言ってきた」みたいな愚行だな。…としか思えない訳だが。
…まぁいちいちそんな事を普通の人は考えない訳だが。別に投稿先がtwitterだろうがmixiだろうがブログだろうがなんだろうが「他人と繋がってる」事さえ
認識出来ればそれでいい。と言うのが普通の人の感覚だから。とまむさんは「自分で使う為」に書いている。脳内の整理と最小限の意見提示とまぁそう言う事で。
最初の目的からしてそもそも違ってるんだがそんな細かい事はまぁ置いといて。だからいちいちブログがどうのこうのなんて言うのを擬人化したりもしない訳だ。
だからこそ「そうした無邪気の悪意」と言うのが「とまむさんからみれば反吐が出る行為」でしかない。しかもそれが世の中の大多数で許容されてしまっている。と言う。
…スクリプトを書き換える。要するに「ブログに投稿する。投稿されたブログは文字数で判断する。文字数が140文字以内だったら『140文字以内専用投稿スペース』
にその内容を保存して、それと同時にtwitterにも投稿。twitterから受けたリツイートも自分のブログで表示する。リツイートを受け取る機能をブログに搭載する。
文字数が140文字以上だったらブログに投稿する。投稿されたブログは『通常のブログ専用投稿スペース』にその内容を保存する。それと同時にtwitterにも投稿。
但し、文字数が140文字以上なので140文字で切った内容を投稿して、その全文はブログのこちらのページにて!みたいな感じで短縮URLを使ってブログの
『個別記事』の方にリンクを張っておく。リツイートされた内容も自分のブログで表示する。さっきも書いたがリツイートを受け取る機能をブログに搭載する」と言う事で。
…あちこちに情報が散らばっていると読む方が大変だろ。「誰々さんの情報は1ヶ所にまとまって表示されてある」方が読みやすい。少なくとも自分はそう思う。
もしもとまむさんが「mixiで日記を投稿して外出先ではtwitterで〜」みたいな事をやってあちこちに日記を散り散りに投稿していたらそれを読む方は大変だな。
そしてあちこちに投稿する俺本人も大変だな。としか思えない。俺は少なくとも『自分のサイト』に情報を集約させる事を念頭に置いた情報の発信構成。を考慮する。
まぁそう言う事で。そうした情報の集約の有無と言うのが1つ目の理由。これはスクリプトを書き換える事で、提携させる事で解決出来る。
とまむさんがtwitter嫌いのもう1つの後者の理由は解決不可能なんで。日本人は本当にハレとケを意識するよな。…例えば有名人がtwitterのアカウントを開設して
フォローしている。フォローされている。の数字が圧倒的に違っていて、その有名人がフォロー「している」のは同じ業界の別の有名人だったりして
そうした「仲間意識」が全面に押し出されている。と言うのはまるで「知り合い以外はお呼びじゃねぇんだよ」みたいな汚い意識が透けて見える。
お前ら。「生まれた直後(最初の最初)」から知り合いだった訳じゃねぇだろ?と。だから話にならない。あぁ、とまむさんの場合には友達とか仲間とか無いんで。
まず他人。他人は例外なく他人。とまむさんの走る方向が「A→B→C→D」だとした場合、部分的に似通った走りをするタイプ。つまり「B'→C'」の間に限って
割と似通ってるね。と言う人に対してはその区間だけ、割と接点があぁ「強め」だな。と意識する。ただそれだけの事なんで。だからそうやって特定の仲間と
ベタベタくっつく様な感じでツイートしあって、それを仲間じゃない第3者はフォロー「する」けれども「される事は決してない」と言うこの阻害感覚。
動物園の中に居る動物の「檻の中」なのか「檻の外」なのか。…その違いみたいな意識が生まれて透けてんぞ。仲間意識とか、大半の場合においては醜くなる。
例えば声優が、アカウントを開設して「なんとかと言うアニメの打ち上げでどこそこの居酒屋で飲んでます」的な写真を投稿したとする。フォローする側。
要するに「その声優が好きな奴」に関してはまぁコメントを遺す訳だが決してその打ち上げの現場には介入できない。何故なら「仲間じゃない」から。
…薄汚ねぇな。「(お前らは参加出来ねぇけど)飲んでますよー☆」みたいな意識しか伝わって来ない。だったら最初から仲間意識を持たない方がいい。
そうすれば「羨ましがられる事も羨ましがらせる事もない」訳だ。俺はそっちを採用する。って言うか現に採用しているんで。…まぁそう言う流れの方が俺は上等だから。
そう言う訳で「スクリプトを変えても後者の理由で結局の所とまむさんにtwitterのアカウントを開設する様な乱交パーティーにも似た愚行は行えない事なのでした」
と最低限書いておく。全く書いておかないと「とまむさんはブログを放置する事を許可したも同然」と見なされる。自分の場を明確にする。それが現代の必須戦法。