蛇の生殺し?それに対しては「まぁ無視(マムシ)」と答えるだけで終了するんで。とまむさんの新旧ダジャレ天国。基本、日本人は「相対的に物を見る」事が出来ない。
それが欠点だから。その欠点があるからディペートやディスカッションを苦手とする。俺ネオ日本人なんで。そこら辺での「相対化」の意識があるかどうか。それが重要。
鬱病患者が自分の事をどう評価するか。他人がその鬱病患者の事を鬱病だと知らないでどう評価するか。案外その2軸の方向性は合致している事が多い。
つまり他人から見た自分なんて言うのはそんな物。自分で自分を評価すると大抵の場合は過大評価になる。それが現実。人間なんて他人に対して
ケチをつけようと思えば幾らでもケチをつけられるからな。だから評価されるされないなんて言うのは割とどうでもいい。基本的には「自分さえよければいい」それが俺。
日本人は相対的に物を見る事が出来ない、その具体例でも1つ書いてみるか。自分のメールアドレスに届いた自分が出しているライトノベルへの感想。
それがあまりにもゆとり臭い内容ばかりなんで自分のブログで苦言を書いた。…あぁ、アホだな、こいつ。メールの文面が不明な以上、自分で自分を貶めるだけ。
他人の行動に自分が制限を加える事は出来ない。ではどうやって対峙するのか。答えは簡単。「見える化。それと相対化」この1行で、たった1行で全てが終わる。
…つまり。「メールだとかは募集しない」「俺の内容に意見があるんだったら自分でブログを作ったりなんだりして、自分専用の情報をスペースにその意見を書いて
その意見が書かれた個別URLに俺の日記の個別URLへのリンクを張って、俺のサイトのアクセス解析にログを残して、それで伝えて来い、お前がな。お前の側からやれ」
こうなる。そして「俺でもお前でも無い第3者は、俺の内容と、そいつの内容、両方の内容を比較して、あぁなるほど、と判断が出来る」これが「見える化」の具体策。
別にコメントとか求めないんで。俺の日記を引用するんだったら引用だと分かる形式に直して引用しろ。それをしなければ単なるパクリで話が終わる。お前が損をする。
別にコメントとか求めないんで。その第3者の意見は「とある第3者」「そいつはまた別の第3者」で考え方も印象も変わってくる。そんな変わりまくりの内容を
いちいち相手にしている暇もない。お前の脳味噌でまとめた考えを否定する様な行為を俺は制限としてお前に加えるつもりはない。「無駄なコンフリクト」は時間の無駄。
そう結論付ける。だからな。「メール」と言う手段が、そもそも使い方として「相対的ではない」となる。こう言った情報の流し方。日本人には苦手な分野。それが現実。