2010年11月04日(木)no shot.

問題の根っこが分かってない奴が多すぎる。まぁいいや。最低限書いて俺は終わるだけ。そうやって最低限だけの意見表明で世の中へは十二分に事足りる。

昨日で終わった飯塚での日本選手権オートレース。5日間の売り上げが去年伊勢崎で開催された時を100とするとおよそ88程度の売り上げに終わったそうで。
へぇ。大体のバカどもが「不況だから」と言う簡便なワードを持ち出して話を終わらせる。「何故(Why?)不況になったのか」そこまでの話をする奴はかなり少ない。

答え:世代 はい終了。俺の中では「世代」と言う2文字を書いた時点で全ての説明は終わっているんだがこれだとあまりにも訳がわからないんで。

1バイト思考。要するに「これこれこう言う理由でこうなった」「これの話をするには別の世界からこれを持ち出して合わせる必要がある」と言う様な順繰りの説明。
そうした概念が足りていない。まぁ大半の日本人がローマ字入力なのに比較してとまむさんが親指シフト入力と言うその方式の違いによる文章量の違いもあるが。

「1:人間は年をとるほど金を使わなくなる → (理由:気力や体力が衰える。これに金を使ってもいいのだろうか?と考える。引っ込み思案になっていく)」
「2:日本は年をとった奴ほど金を持っている → (理由:年金の支払いに関する構図。あるいは給料の流れに関する構図。システマティックな事項が理由の大半)」

説明終了。金を持っているのは主にジジイやババアの世代だから。 「金を(使いたがらない奴が)持っている」 「金を(使いたがる奴が)持っていない」 こうなる。

「あべこべ」なんだよ。今は。「団塊以上の世代が使える可処分所得」 と 「団塊未満の世代が使える可処分所得」 の比率は大雑把に語って「8:2」だから。
「金持ちが金を使わず、金をを持ってない奴が金を使えない」社会でどうやって売り上げを伸ばすんですか?と。小学生でも分かる様な話だろ?としか言い様が無い。

人間は年をとるほど金を使わなくなるその理由は「経験」と「未知への恐怖」これが理由。前者は「これに金を使ってもいいのだろうか?と引っ込み思案になる」から。
問題なのはむしろ後者。「未知への恐怖」 つまり 「自分が若い頃と比較して、今の世の中に関する隆盛のそれを自分の脳味噌で理解する事ができない」から。

これを小学生でも分かる様に言い方を変えると「年寄りは昔の事は知ってるけど今の事は知らないから今の事に関しては金の使いようが無い」こうなる。

第27回日本選手権オートレース 飯塚オートレース場(1995年) 優勝:福田茂 2着:中村政信 3着:田代祐一
第42回日本選手権オートレース 飯塚オートレース場(2010年) 優勝:永井大介 2着:荒尾聡 3着:有吉辰也

以上。人間は若い時の方が基本、気力も体力も充実している。デリヘル嬢を呼びたがるのは20代と50代の主にどっちの男性ですか?こう考えれば分かりやすい。
「赤羽の出張ヘルス嬢」略して赤ヘル。とか言ってズボンが張り裂けそうになる様な童貞ボーイである確率と言うのはどっちの方が高いんでしょうかね?だと。

可処分所得で比較した場合、団塊以上の連中の方が金を持っている、割合で言うなら「8:2」の「8」の方である。と言うのはさっきも書いた。
そうした連中が若かった頃に行われたオートレースを仮に1995年として、その当時と比較してじゃあ今の2010年になって今の団塊、昔の若者は
果たして気力や体力はどう変化したんでしょうか?と。それと経験。それと15年間と言う月日で踏まえた経験も加味されていく訳で。結局、そうした内容の
一連のストリームがあって、今の団塊、昔の若者は、「金を使う」と言う一連の行為に対して引っ込み思案になっていく。これが「人間の流れの本質」だから。

1995年に既にオートレースの車券を買ってた様な当時の若者が、その「当時」のオートレース知識に関しては若かりし頃だから「たっぷり知ってるたっぷり語れる」
のは当たり前。問題なのは「1995年に既にオートレースの車券を買ってた様な当時の若者」が「2010年のオートレース知識」を「たっぷり知ってるたっぷり語れる」か。

どうせ「昔語り」だろ?そいつらは。これが「人間の流れの本質」だから。…これを一言で言うと「興味が薄れる」となる。「知ってる知らない」の単一的な判断ではなく
「どのぐらい知ってる(ハマってる)」のか。その「度数的な判断」を有していない連中が多すぎる。それが大衆だから。仕方がないんだが。そう言うもんなんで。

1995年ぐらいにオートレースへ首を突っ込んでた度合いがピークを迎えていた頃の「今(2010年)」の「団塊」が、果たしてどこまで首を突っ込めている事やら。
こういった「ジェネレーションバイアス」に対する不理解。これがまかり通っているから世の中の売り上げがオートレースに「限らず」伸びてこない。それが理由。

解決策?ものすごく分かりやすく書けば「団塊はもっと若者に金をあげろ」となる。…まぁ絶対に首を縦に振る事は無いような条件だけどな。

もはや、今は「世代と世代の間」にあるのは溝とか言う甘っちょろいレベルではなく「断絶」の漢字2文字で終了する様な深い深い傷痕だから。これが現実。
一昔前は「漫画ばっかり読んで!」とか言って親に怒られた経験もあるだろうな。それは「その当時の『親』の肩書きの連中が漫画と言う文化に対して
自分が若かった頃に経験をしていない、いわば未知の領域への恐怖と言う心理面による裏返し、が存在していたから」で説明出来るんで。

じゃあ今はどうかと言えば「今(2010年)の時点で小学生ぐらいのお子さんを持っている『親』の肩書きの連中」を仮に「1970年代生まれ」と仮定した場合、
その世代が漫画にハマっていた時代のピークを仮に「1985年頃」とした場合、まぁ普通に漫画とか読んで当たり前、の様な環境で育ってきた訳で。

そう言う環境が当たり前だった。と言うのが今の『親』の肩書きを持つ世代の生育環境。これが「ジェネレーションバイアス」の一例な?これが現実。

つまり「日本国」ではなく「皇紀2670年」を基準として「日本国for10代未満」「日本国for10代」「日本国for20代」「日本国for30代」(以下略)と言う風に
世代によって「それぞれの日本国が存在している」と言うのが現実だから。早歩きが当たり前になっている分、世代の移り変わりも早くなる。これが現実。

…例えばの話を1つ書くか。JKAの役員どもが基本団塊なんで、未だにオートレースの宣伝で「元SMAPの森君がオートレースで活躍中」みたいな文句を使う。
…今のゆとりは「最初から5人だった」と思い込んでるぞ?おい。これが「断絶」の漢字2文字で終了する様な深い深い傷痕の証拠だから。これが現実。

今のゆとりを分かってないな。まぁ確かにゆとりは車券を買う事は出来ないがむしろ「車券を買えない世代の時点で既に客引きは始まっている」と思え。
三つ子の魂百まで。人間は幼少期に経験した事とその有無によって一生が左右される。そう言う生き物になっている。「小学生のヒーロー」と思える人物の中に
オートレース選手の名前は存在しているか?小学校でオートレースが話題になる様な事があるか?殆どないよな?それが現実。「客引きの開始が遅すぎる」からな。

今のゆとり連中は基本、自分が思った事考えた事、と言うのが絶対に合っている!と言わんばかりの視野の狭さを持つ性根。そう言う性根が大半なんで。
自分が間違っているとは思わないから素直に謝らない。自分の見た尺度が正しいと半ば思い込んでると言うのが今のゆとりの特徴。例えば2ちゃん辺りでも
なんかの声優スレの書き込みとかで「あぁ。それ他人から伝達された情報だよな。それをさも絶対だと言わんばかりに断定口調で語っちゃってるよこのゆとり」

みたいな印象のある書き込みが割と散見される。まぁその業界は主にゆとりをターゲットにした業界だからそうしたゆとりホイホイになるのも頷けるんだけどな。

とりあえず簡易的に説明しておくと。「今のジジイは支出を渋る。ジジイの趣味はタンス預金。金が出て行かない状況で一体どうやって金が回っていくんですか」と。
若者は大体貧乏だから使いたくても金がありません。だから世の中全体の金の流れが滞っているのです。こうした所得の有無と支出の逆相。それが「不況」の構図。

2010年11月04日(木)17時24分36秒