最近俺が行っているスクリプト書き換え行為は「見た目は同じでもその見た目を表示するのに掛かる秒数を短くする事」それと「表示する際にサーバーへとかかる
負荷を小さくする事」その2つを念頭に入れて書き換え行為を行っている。だから見た目が大きく変わると言う訳ではない。そう言う作業を大体1ヶ月ぐらい前から
本格的にやり始めている。正確に書くと9月の中旬頃から気づいた所より書き換えを開始している。fileではなくfopenを使ったりとかそう言う内容での書き換え。
俺が使ってるパソコンは大体2002年に買った奴を今でも使っている状態だから。そう言うマシンスペックでも違いが分かるほど表示に掛かる秒数はより短くなった。
…まぁ実際そんな事を書いた所で大多数が理解できない話を書いていると言うのも分かってる。今は「なんでもかんでもレンタルの時代」だからな。
ウェブサイトと言ってる時点で半ばバカにされている。今は「ブログやmixiやtwitter」の様な「借り物を上手く支配する」と言うのが大衆のやり方だから。
見ていて思うのは「ブログを放置してtwitterに行く奴が多すぎる」と。俺の提示している「理由」となる展開は4つある。以前にも書いたけどな。
1:人間は忙しい。携帯電話から更新できる方が楽。文字数の短い内容でも十分なtwitterで普通は事足りる。
2:日本人は関係者脳をやたらと使う。どこの馬の骨かも分からない奴の為に更新するブログよりも自分の知ってる奴とだけやりとり出来るtwitterの方が脳が楽。
3:日本人は関係者脳をやたらと使う。つまり「『みんなとおなじ』がいい!」と表現するべき大衆へのジョイント行為。それを是としている。「友達がやってたから」。
4:日本人はハレとケの落差が激しすぎる。そうやって「自分をよく見せようとする見栄っ張り根性論」は、やはり「ネット=コミュニケーション」と捉えてる事の証明か。
この4つの展開で大体が説明出来る。それが現実だからな。twitterにかまけるとブログの書き込みが劣化する。「twitterは日本人の関係者脳にまみれた
ジョイント大好き代名詞的展開」にフィットしているんで。twitterは楽しい。ブログは楽しくない。よってブログは劣化する。井上麻里奈のそれとか明らかに劣化している。
あぁ。関係者脳って、基本的には「馴れ合い」の4文字で表現可能なんで。俺は馴れ合いが嫌いだから。ただ「その行為が勃発する理由」は「脳からの伝達」なんで
脳味噌中心主義。として「関係者脳」との言葉を採用していると言うのがとまむさんの現状なんで。簡単に書けば「馴れ合い(知り合いと一緒の方が気が楽で楽しい)」と。
「このブログは事務所とは関係なく井上麻里奈が個人的に運営しているものです。井上麻里奈宛のお仕事の問い合わせ等は事務所にお話を通して頂けると幸いです。」
劣化しているその証明。ツッコミどころ満載。俺の様にスクリプトまで書いてサイト運営をする時点で相当なマイノリティだから俺のやり方は他人には全く役に立たない。
ツッコミ1:事務所とは関係なく → 芸名は事務所と関係あるだろ?本名か、あるいはハンドルネームで運営すれば関係ないと言えるがそうではないだろ。
ツッコミ2:日本人はこうやってハレとケを使い分けるが厳密には「ハレとケは融合しているのが現実」だから。事務所とは関係「ない」訳がない。基本的には「ある」となる。
以上。単純に「お仕事のご依頼は事務所を通して下さいお願いします」的な1行「だけ」で良かった。前者は要らない。これが劣化の証明。「やる気のなさ」が見えている。
例を挙げる。真田アサミと飯を食う。「どうやって真田アサミとプライベートで飯を食い合う関係になれたのか → なんかのアニメの共演者として知り合ったから」
「何故そのアニメに出演できたのか → オーディションに受かったから」「素人がオーディション出してって嘆願しても無理だよな? → 事務所経由で話が来たから」
つまり 「真田アサミと飯を食う → これはプライベート」 でも 「真田アサミと知り合ったきっかけ → 『声優としての仕事(パブリック)』を経由したから」 こうなる。
あんたが声優やってなかったら真田アサミと名前で呼び合える様な関係には「なっていなかった」よな? 日本人の大衆と言うのはハレとケを別に考えたがる。
つまり見栄っ張り。だが実際は、プライベートなんてもんはどこにもない。プライベートとパブリックが混同しまくっていると言うのが現実。上記の例でよく分かるだろ。
つまり 「私的行動は公的行動の内容や結果に支配されている物」 であり、それと同時に 「公的行動は私的行動の内容や結果に支配されている物」 でもある。
日本人の大衆はこれを分かってない。だから「ハレとケを別にしたがる」見栄っ張り行為を起こす。その落差が非常に汚らしい。ブログの書き方がよそいきな分、
twitterの書き方がプライベート丸出し。その「落差=見栄っ張り」これが非常に見苦しい。世の中にはプライベートもパブリックもない。ハレとケは混同される。
実際に上記の例をとってみても「混同されている」だろ?それが現実。この現実を見ないで分離を試みようとするから話がややこしくなる。ややこしい話は嫌いなんで。
けれども日本人の大衆はそのややこしい話を是と考えている。だから俺の感性ではそこが理解不能。その「理解不能」っぷりが「とまむさんはマイノリティ」となる根幹。
上記の内容を指摘して終わるのでは意味がないんで。しかし結論はもう以前から出している。「ブログがつまらない」「twitterが面白い」なら「ブログを閉鎖しろ」と。
以前にも書いたが「正妻(ブログ)に魅力がなくなって浮気相手(twitter)と浮名を流してばかりいる」ならさっさと「離婚」した方が早い。例えるならこう言う展開だ。