2010年11月22日(月)グラインドデジタル

参加者が「楽しかった」とホザいてるのは「当事者」と言う絶対脳のバイアスが掛かっている意見であって話にならない。バイアスの有無を認識しない奴が多くて反吐。

参加者は「つまらなかった」とはまず言えない。理由は金を出したから。参加費用に限らず集合場所に行くまでの交通費、また解散場所から自宅に帰るまでの交通費。
各種金銭の出費を実行している。そうした立場の脳の場合には「損をした」とは思いたくない。それが人間心理。人間心理を無視して物を語る奴らが多すぎる。

「参加者が『楽しかった』って言ってたからあけまこバスツアーは成功だね☆」とtwitterでつぶやいているアホが多い。「人間心理」を無視している格好の悪い見本。

「参加者 → 楽しかった(と思って当たり前)」 重要なのはむしろ参加してない側がどう思ったか。つまり「傍観者」ここも楽しませないと成功したとは言えない。

「参加者にとっての成功したと言える事例 → あけまこと一緒に過ごせた事」 「傍観者にとっての成功したと言える事例 → 群馬と言う土地を理解したかどうか」

こうなる。まず以て最初の出発点から違っていると言う認識をこうして並列に、並べて書く事で相対化が可能となる。こうした脳の使い方が現代では非常に重要。

「群馬と言う土地を理解したかどうか → 参加者の晒し行為を見る限りでは、あけまこと一緒に居られればそれで十分であって群馬である必要性は感じてない。
つまり群馬なんかどうでもいいとしか思ってない。現代社会は情報戦争。『はやぶさ』のカプセルは群馬県富岡市で作られていたんですよ〜。と言う話題
1つあれば、はやぶさ『擬人化』とか好き好んで採用している参加者(オタク属性有り)は、掌を返したように群馬県への評価を上げる。そんな情報の公開がない」

よって「理解していない」と結論付ける。旅とは「その土地、その風習にある程度の理解を示す」行為だと思っている。それが成されていない。 よって失敗と定義する。

2010年11月22日(月)シクレノンアート (+00:43)

富岡インターより車で約20分。IHIエアロスペースの富岡事業所が富岡市にはある。こうした内容を1つ取り上げるだけでも「群馬」に対するイメージは上がる。
旅と言うのは「その地域への理解を深める事」だと俺は考える。つまり「地域への礼節」が必要不可欠。「群馬の話題」を取り上げる事でその礼節への返事となる。
参加者の、あるいは今回の主役の2人。「群馬ってこう言う所だったよ」と言う地域話をお土産としている奴が皆無なのは「群馬に対して非礼」としか言い様がない。

どうせ参加者の大半は「あけまこ!あけまこ!」が脳内の大半だからな。 「あけまこがいなかったらどーせ参加してねぇくせにw」 この1行で終わる。胸くそ悪い。
(バイアスが掛かった意見ではあるが)実に不快だな。参加者以外のマインドも考慮する。現代社会の情報戦争をこなして情報をコントロールする支配者になる戦い方。
「…スペクラの傀儡として金を巻き上げてみんなで参加する」事が重要で「群馬県を楽しむ」事は全く重要ではないらしい。「誰と(オタ)」ばかりで「どこへ(群馬)」が皆無。

正直「群馬が蹂躙された」感覚しか受けないな。普段ネットでマイナスイメージの強い群馬県に対して「そうじゃないよ?(行ってみたら思っていたよりも楽しかったよ?)」
と言う概念があれば良かったんだがそうした感覚が全くない。殆どが「あけまこ(人物)」に対する内容のツイートでハッシュタグが埋まってた事からもそれは明らか。
ハァ。実に下らない。実に非礼で失礼千万だと言わざるを得ない。こう言う連中は本当に「大衆」で「トップダウン」からの情報にのみ動かされる傀儡なんだな。バカだから。

…と書いた。今回のバスツアーの参加者は、どうせ「あけまこが居れば行き先は地獄でも構わない」様な連中ばかりだから。その時点で強烈なバイアスが掛かってる。
意識がフラットじゃない奴の言う事は聞かなくていい。バイアスだらけ。それを全く認識していない。基本「バイアスの有無を認識している奴」と言うのが
2010年の現代社会においての「頭のいい奴」と定義出来る内容の1つ。基本「フラットに物を見る事」を努力して行う。それがまずは相対化への第1歩。

…まぁいいや。旅とは「その土地の事を知る為に行う物」だと俺は思っている。…つまり、群馬県に来たならば「群馬県ってどう言う所?」と言う内容を
そっちの方をメインに紹介するべきであって「明坂と何々しました」の様な「人」を中心とした書き方ではなく「群馬県で何々しました」との様な「場所」を中心として
内容は練って展開するべきであると考えている。…つまり「群馬県に礼節と理解を求める」と言うのが人としての儀礼。…それを吹っ飛ばしてる参加者とあけまこ。

話にならない。語る資格がない。「群馬県の良い所」を紹介する事が出来る様な形に心が形成されていくべきだと俺は考える。「単なる舞台装置」では意味がない。
……本当にこれは、腸が煮えくり返る様な状況だな。「群馬県の紹介を適切に行うと言うソリューション」が「参加者にもあけまこにも存在していない」事が証明された。

[ あけまこバスツアー9 ] 富岡製紙工場。ガイドの方がノリノリでした 久々に勉強した〜ってかんぢでした♪(MAKO 11/22 20:06:54)

「群馬県は単なる舞台装置」「あけまこと一緒にツアー出来る事が重要であって群馬なんかどうでもいい」…と言う参加者の心理が「ハッキリと」これに現れている。
群馬県に礼節があるなら「施設名を間違える」などと言う事はあり得ない。中学校辺りの歴史の時間に教わらなかったのか?これ。日教組?としか言い様がない。

群馬県と言う場所に礼節を持って行動したかどうか。あけまこが群馬県を訪れた同日、高崎のジャマダでは浅倉杏美、原由実、長谷川明子が声優イベント。
アイマス?とか思ったが、どうやら「クリミナルガールズ」の方らしい。まぁ「特定の事務所から何人か引っ張ってくる」なんて構図は良くあるから被っても不思議ないが。

その3人は21日に高崎でイベントを行ったがその前日の20日に群馬県に入りその日は観光。「有名だと伺った『水沢うどん』を食べた」など、「その土地(群馬県)」を
理解しようと言う意識の中で観光を行った。そう言う意図がきちんとブログから伝わる様に「群馬県の写真を多めに掲載しております」そんな状態を構築している。

…非常に分かりやすく一言で書いておこうか。「あけまこ」と「クリミナルの3人衆」と、どちらが「自分たちが観光した群馬県を礼節を以て紹介しよう」と言う意識があるよ。
正直どう見ても「アーツビジョン>超えられない壁>スペースクラフト」これで終わる。スペースクラフトの連中には反吐しか出ない。「参加者」の事ばかりを書いている。

スペクラ組:「参加者が集まった」「参加者の平均年代は」「参加者はホテルの一室で」「参加者とどこそこで何々をやりました」…「誰と」ばかりの内容で群馬の話が無い。
アーツ組:「水沢うどん」「だるま弁当」「あっこちゃんはとりめしを頼んでいたので」「さて、次は乗馬に初挑戦しました」…「群馬で」何をやった(食べた)のか。の話が中心。

この違い。とりあえず「スペクラ組のtwitterやブログ」と「アーツ組のtwitterやブログ」を見比べてから、以下の質問に答えろ。 質問:どちらの組の内容が
「群馬県にはこう言う施設があり、こう言う食べ物があり、そしてこう言う遊ぶ所があるんだなぁ〜、群馬県って良い所って感じだなぁ」 と思えましたか?

これで、この設問で俺の言いたい事は大体集約される。「アーツビジョン>超えられない壁>スペースクラフト」これで終わる。…実に「分かりやすい相対化」となったな。

1:「誰と」ばかりを優先し、肝心要の群馬県と言う土地や食べ物に対する感想や写真などは殆どアップしなかったあけまこ連中とその取り巻きによるスペクラ組。
2:「榛名山」など環境を明確にしそこの場所の写真を撮り、「水沢うどん」「だるま弁当」など、人間の基本である「食」をピックアップし具体的な名称も出したアーツ組。

どっちが「群馬県の観光特使」としてふさわしいか。小学生でも分かるわな。「スペースクラフトのゴミっぷり」が実によく分かる。これが「脳味噌の差異」なんだな。

2010年11月22日(月)20時32分50秒