情報戦争を生き残るコツ。「広く浅くではなく狭く深く。自分の立場ではなく『場』。立場だと上位下位の様な偉い偉くないの差まで出来てしまう。偉い偉くないはない。
自分の立っている場所だけ明確にすればいい。立っているその場所を明確にした上でそこを深く掘り下げる事を是として動く。ニュースサイトの様な万屋なんて流行らない」
「深く掘り下げた特定のジャンルを材料として交渉する。Aの場を深く掘り下げたその情報の真贋の割と真の方が多いと言う展開を武器としてBの場を深く掘り下げた
他人との交渉を行う」「その掘り下げた度合いの正誤に関する判定は歴史で以て行う。歴史をきちんと確認しやすいシステムを構築する。歴史の具体的な定義とは
現時点での数ヶ月前に現時点の内容を予測出来ていたかどうか。俺が『な?俺の言った通りだろ?』と言う言葉をしょっちゅう使っているのは過去の事項に重きを置くから。
歴史を正誤判定の材料として、正の側が多い奴ほど基本的には『乗っていい』事となる。歴史を掘り下げられないシステムを構築している連中はその時点で用が薄い」
「話は理論で以て進める。日本人は単独行動を嫌う。集団行動を是とする生き物。だから右へ倣いたがる。だからマスゴミの様なトップダウンに引っかかる。
2人で行動している時に左右に分かれる道があった場合日本人の脳内では大体『2人一緒に動く』事を是として左か右かどっちかの道を通りたがる。そうではなく
1人が左、もう1人が右へ行ってその先で再び合流し『左を見た者は右を見ていない』『右を見た者は左を見ていない』この相対性客観的な現実に基づいた理論で進める。
『左を見た人は左を見ていない右を見た人にも分かる様に見た左の内容を説明する』『右を見た人は右を見ていない左を見た人にも分かる様に見た右の内容を説明する』
その説明に関しては『見た』『見てない』の穴の差異(場所)に基づいて、その穴の位置をまずは確認し、それを埋めるが如くの理論的な展開で相対化して話を進める」
「ルールを決める場合には、Aの人物Bの人物がルールCを理論で以て互いの『感情(感性)』を外した上で話し合いに該る。日本人は感性をすぐに優先したがる。
だから『人間と言うよりも動物』に近い動きをする。大衆は『動物(理論でなしに感性をメイン行動とする今自分の場がまるで分かってない他人が見えない幼稚的行動性)』
で動く。そうではなく『人間(理論。何故その動きをするのかを一応はこれこれこう言う理由でこうするからと説明可能な動き)』としての動き方で以て行動する。
ルールを決める場合にはそうした理論オンリーの大系で以て、人間の感情の動きさえも理論立てて相対化して説明に加える程度の動きで十分とする。決めたルールに
関しては人物D、E、F、G、H、にも分かる様にと相対化して内容を定めていく。どちらかが一方的に有利なそれは単なる感情のゴミ的撒き散らしでしかない」
こうなる。twitterは自分の過去のつぶやきを検索する事が出来ない。外部サービスを使えば可能。知ってる。「その外部サービスがいつまで続くのやら」
その永続的な保証はどこにもない。いつサービスが終わってもおかしくない。だから可能な限り外部サービスではなく内部サービスとして内包している方が好ましい。
最近の大衆は歴史をあまりにも軽視している。人となりを理解するにはどの様な成育環境で、どの様な理論で、どの様な嗜好で以て、どの場所に立っているのか。
それを明確にしないとそもそもの議論が成立しない。世の中にはバイアスが掛かっている。平等も公平も世の中にはない。世の中は不平等で不公平。それが現実。
何故バイアスが出来たか。そんな事は考えなくていい。無限ループに陥るだけ。「そう言うもん」としてさっさと進める。重要なのは「バイアスを認識した上でどう動くか」
だから。バイアスなんてあって当たり前。それを「ないものとして」考えるのが大衆クオリティ。そう言うのは「偽善」と判断する。世の中理想ではなく現実。現実的に行け。