2010年12月14日(火)str var.

例の石原漫画アニメ規制法案(但し実写は除く)に関して本質的な議論を行っている連中の圧倒的に少ない事。まぁいいや。俺はそいつらとは区分けする。

明確な基準がない。「双方が納得する明確な基準」がない。日本人は絶対脳。それが多数派。コカコーラとペプシコーラの比較コマーシャル。日本ではやらない。
自社を厚遇する事は他社を冷遇する事。そうやって「エモーショナル」の方に問題をすり替える。相対的に見ないとどっちが優れているのかなんて分からない。

「劣っている」と判断されたら劣っていると判断された側が反論もしくはブラッシュアップを行えばいいだけの事。「こう言う発想」が出来ないから日本人は頭が固い。

だから話にならない。俺が「消極的反対派」と名乗らざるを得ない最大の理由。日本人もある程度「思考の欧米化」が必要になっている。以前は「海に守られていた」
国家ではあったが、今や飛行機で簡単に外国人が入国し、街には外国語が溢れ、やたらと外国人の顔を見る機会も増えている。もはや「海は防波堤ではない」時代だよ。

さて。規制する側と規制される側。その双方が納得するであろうルールCは構築されているんですか?と。「規制する側A」「規制される側B」の間にある「ルールC」。
「これに基づいて規制しますよ」とする明確な(ここ重要)基準はあるんですか?ないでしょ?と。規制する側Aが一方的に決めた内容はルールにはなりえません。

それは「頭の固い連中が絶対脳と言う日本人の思考の悪癖を最大限に引っ張りあげて作り上げた愚かで独りよがりのオナニー的な着想」にしか過ぎない。これが現実。

似た様な事は「規制される側B」にも言える。その「反論」は「また別の頭の固い連中が絶対脳と言う日本人の思考の悪癖を最大限に引っ張り挙げて(略)オナニー」。だ。

例の石原漫画アニメ規制法案(但し実写は除く)に関しては、日本人の思考の愚かさ(絶対脳と相対脳、その両輪で思考を回す事をしない、頭の使い方が前時代的)を
浮き彫りにしたと言う意味では有意義な物なんで。まぁそこでこの法案の役目は終わるんであとは消極的ながらも反対していくだけですが。…とりあえず聞くか。

「『あきそら』は規制しますか?『ヨスガノソラ』は規制しますか?『侵略!イカ娘』は規制しますか?するしないの如何に関わらず持論と相対的な理由をどうぞ」

1:双方が納得して作り上げたルールCがない以上規制する側Aの頭の固い持論を聞かされるだけのオナニーに陥って終了。
2:それ以前に規制する側がきちんと知識を熟成しているとは思えない。まぁ団塊と団塊ジュニアの劣化脳を考えた場合には「ヨスガノソラってなんですか?」が関の山か。
3:日本の団塊と団塊ジュニアは自分がやりたいと思った事だけをやる猪突猛進型タイプの脳を持っている「周りが見えない」タイプ。話し合いのテーブルにつかない理由。

4:日本の団塊と団塊ジュニア、それに対するゆとり連中。この年代の間には「断絶」と言う名の溝がある。生育環境や情報環境の違いによる「脳成長」のパターンに差異。
だからいつまでたっても話し合いなんて平行線に終わる。そうなると、団塊と団塊ジュニアの連中が「(猪突猛進、年齢の大小、上意下達意識による)強権」を発動する。

…結局の所はいつまでたっても「自分の意見は絶対の意見として持ってはおくが、それを他人に伝える場合には自分と他人の脳の欠落部分の差異を認識する作業を
行って話の穴をそれぞれの脳味噌から埋めていく比較原理による相対的超理論」と言う、とまむさんが書いている所の「多元思考」を実行できない日本人の頭の悪さ。

あぁ、俺は日本人は「知識、経験、歴史。そう言った展開においては頭がいい」と思っているが「発想、着想、相対的比較。これらの分野では徹底的に頭が悪い」
と思っている。少なくとも日本人の識字率の高さ、平均的な学の有無。に関してはこれほどまでに話の通じる国民もそうはいない。と思っているんだが
問題なのは「頭の回し方」が全くなってない。と言う事における「アイススケートの滑り方は教科書で読んでも実際に滑って技を磨き上げる事はしない」様な連中。

そう言う風に判断してるんで。…で。規制賛成派がいるとしたら聞きたいんだが「ヨスガノソラは規制しますか?するとしたらどんな理由で製作に納得して貰いますか?」
相対的に、なおかつ「規制する側A(規制賛成派)」と「規制される側B(奥木染町内会)」の我田引水ではなく「聴衆D」にも理解出来る内容で賛成派は説明しなさい。

…まぁ「無理」だろうな。俺が今回の法案に反対する最大の理由は「日本人はディペートやディスカッションを非常に苦手としている。欧米人1バイトロジカル思考。
…ではなく、日本人2バイトエモーショナル思考、すなわち他人に対して強権発動でしか物事を動かせない頭の悪い集団徒党の背中の押し方しか出来ない社会で
こう言った規制する規制されるに関する明確なルールの策定と厳格な運用と、それでもシステムが崩壊するかもしれないからと言う理由で規制される側Bに対する
『駆け込み寺(規制する側Aと同等の権力を持ち、規制する側Aに服従する必要も過度に指導する必要もないほぼ同等の権力を有している組織)』もきちんと用意する」

こうした「システマティック」な行為が日本人の大衆の頭の回し方では「全く出来ない(それが現実。歴史と現代社会が証明している)」から。それが俺の理由。

結局の所「日本人の政(まつりごと)に対する意識は三流四流五流国家」でしかないのよ。政治はお上に任せておけばいい的なニュアンスを是としている衆愚。
そう言った「肩書きに対する妄信」が今の団塊もしくは団塊ジュニア連中には本当に蔓延していて「頭が悪いなぁ」としか思えない様な惨状が出来ているから。

つまり「規制するされる以前の問題。日本人の相対的な社会性と言う物が全然構築されていない『ディペートもディスカッションも全く出来ない赤ちゃん社会』だから」。以上。

2010年12月14日(火)19時15分51秒