2010年12月19日(日)タイムライン

[ また文句書いて…と言われるんでしょうが ] 今日になって、またネット上でイラッとくる記述を見かけて…しかも、今回は一般のファンではなく
オートレース関係者だったんでもう、勘弁してくれよって感じなんですが…某実況アナのブログに以下のような記述がありました(本日も怒られ様でした)

あぁ。「宮本隆与が自分のブログで有吉の落車を聞いてスーパースター王座決定戦に出られないんじゃないか?みたいな内容を書いた事に対する憤り」ですか。

[ 佐世保経由 ] (すいません、又愚痴なんですが・・)この前、記載した大村競艇の近くにある場外発売所です。こちらは同じく大村競艇の
場外発売所(時津にある)、いずれも元パチンコ屋さんを改造してあります。オートレースもバンバン作れないのかな〜?(中略)今日から賞金王ですね、
山陽も準決(有吉辰也落車のようでした、SSもうムリすかね?)佐世保競輪も準決です。(宮本隆与)

こう言う時は冷酷にタイムラインを見る。

1:2010年12月17日、16時頃 山陽オートGIスピード王決定戦の11レース、準々決勝戦で有吉辰也の単独落車が発生。
2:2010年12月18日、午前7時4分39秒 宮本隆与が自分のブログで「有吉辰也落車のようでした、SSもうムリすかね?」と書く。
3:2010年12月19日、午前0時6分28秒 「本日も怒られ様でした」のブログが「またネット上でイラッとくる記述を見かけて」と宮本隆与を攻撃する。

こうなる。俺は「人間は後世になるほど前時代の全容が把握しやすくなる環境で生きている生き物」「人間の基本はネガティブでパッシブ。そう言う生き物」
以上の2点で以て「あぁ。宮本隆与のブログは言葉が足りてないなとは思うが特に怒る様な事でもない」と結論付ける。どうもな、「タイムライン」が分かっていない。

2010年11月11日(木)let us movement. (+13:23)

な?俺の言った通りだろ?としか言い様がない。「2008年の歴史家」ではなく「2010年の歴史家」の方がより正確な判断を神のみぞ知るセカイに下している。
これが「現実」だ。だから「大局的な流れは後世の歴史家に任せるしかない」「リアルタイムで1を聞いて10を語る様な事は出来ない」と。俺の見解の通りになった。

…と書いた。

1:2008年4月6日、サンデーの打ち切り作家「銀行の残高が1万円を切った」 → 「『神のみぞ知るセカイ』 打ち切り感たっぷりなタイトルだなw 10週もたないな」
2:2010年10月6日、テレビ東京、テレビせとうち、テレビ北海道で「神のみぞ知るセカイ」アニメ放送開始。以降テレビ東京系列にて遅れネット開始。
3:2010年12月17日、「神のみぞ知るセカイ」アニメ第2期放送決定の報がされる事が各種まとめブログなどで情報としてリーク開始。

「2008年4月6日の時点の人間」よりも「2010年10月6日の時点の人間」の方が「神のみぞ知るセカイ」に対する現実をより正確に見る事が出来る。
「2010年10月6日の時点の人間」よりも「2010年12月17日の時点の人間」の方が「神のみぞ知るセカイ」に対する現実をより正確に見る事が出来る。こう言う事。

「2010年12月18日、午前7時4分39秒」「2010年12月19日、午前0時6分28秒」この差は無視出来ない。約17時間。この差を無視してはいけない。

そしてもう1つ。 「人間の基本はネガティブでパッシブ」 つまり「情報がなければ人間は基本ネガティブに物を考える様に出来ている」根っこが存在している。

1:2010年12月17日、16時24分25秒 autolantabraves:いま有吉さん、病院に向かいました。そばで介護していた柳さんや西村さんによると、肋骨を痛めて
いるとのことです。本人は意識ははっきりしていました。車に運ばれるときには、同期たちのジョークに痛そうながらも、少し笑っていたので、ちょっぴり安心しました。

時間の流れは 「大丈夫かどうか → 同期たちのジョークに痛そうながらも、少し笑っていた(と言う情報が与えられた) → ちょっぴり安心しました」 となっている。
…つまり。 「同期たちのジョークに痛そうながらも、少し笑っていた」 この光景を見ていたか見ていないか。…もしくは「このツイートを見たか見ていないか」 で変わる。

「1:同期たちのジョークに痛そうながらも、少し笑っていた光景を見た」 「2:同期たちのジョークに痛そうながらも、少し笑っていた光景を見ていない」
「3:少し笑っていた光景を見た(と言うツイート内容)を見た」 「4:少し笑っていた光景を見た(と言うツイート内容)を見ていない」

「1or3の内容を見た」ならば人間はネガティブから脱する事が出来る。 「2or4の状況下」であれば人間はネガティブから脱する事が出来ない。 それが「現実」。

本当に地元飯塚を愛する心があるなら「有吉は王の中の王ですからね 骨の1本や2本折れてたって出てきますよ 有吉というのはそういう男です
女神の愛を一身に受けて、必ずやSSでは 愛戦士、有吉辰也が鮮やかな復活劇を見せてくれるはずです」 くらいの事を書いて欲しかった

無理だろ。「2010年12月18日、午前7時4分39秒」と「2010年12月19日、午前0時6分28秒」の違いがある。「神のみぞ知るセカイ」の例でも分かる様に
人間は後世になればなるほど判断の内容も正確になり、冷静沈着な判断が出来る様になる。そう言う生き物。それが人間の現実の根っこだから。
「2010年12月19日、午前0時6分28秒」に居る神の様な人間から見れば「2010年12月18日、午前7時4分39秒」に居た人間は赤子。 これが「現実」。

情報に関する人間の思考の流れは 「人間はまず規模の大きい所に向かう」 となる。 つまり 「そこに(情報が)なければ、この世には出ていない」 と判断する。

例えるなら 「人気ゲームソフトを予約してなかった。置いてありそうなお店に行って買おう」 と思った時に 「頭に思い描く店」 は一体どこか。大体が「大店舗」。
「規模の大きなチェーン店(ワンダーグーなど)」「ゲームソフトも売っている家電量販店(ヨドバシカメラなど)」 つまり 「大きな所」 を人間は先に思い描く習性がある。

「個人ブログを巡ったり個人のtwitterを見たりする様な能動さ」 は 「どのデバイスを使ってネットにアクセスしているか」 で変わる。パソコンか、あるいは携帯か。
それともう1つ 「習性の有無」 で説明可能。 「個人ブログを巡ったり個人のtwitterを見たりする習性」 があるのか?ないのか。で変わる。

宮本隆与の「ネットに対するスキル」を考慮する。つまり「年代の違い。ネットに慣れているのか慣れていないかの違い。物を書く事に対するスキルの上下」を考慮する。
そこがあまりスキルが高くなければ「情報が足りない」事によって「ネガティブになる」のも仕方がないと俺は思っている。文面で思いの全てを表現出来る訳もない。

…つまり。「パソコンとネット回線を与えられても 検索 と言う仕組み。それから 情報発信 と言う仕組み。以上2つの仕組みに対するスキルで結果は変わる」となる。

俺が常日頃から「オートレースはオフィシャルサイトに落車した選手の容態を掲載しろ」と口を酸っぱくして書いているのはそれが理由。人間は大きい所に集合する。
そう言う習性がある。「寄り集まる」そして「その場所しか重要視しない」人間心理の根っこがある。だからオフィシャルサイトに掲載すれば多くの人が見る事が出来る。

だから。結局今回のこの話。俺が口を酸っぱくして書いてきた内容が正当性を持っていた事の証明となった訳ですが。こうやって「情報」アクセス者の強弱が生まれる。

「普段の飯塚贔屓の実況はポーズか?」 → 情報の有無で変わる。人間は自らが置かれた環境で変わる。ローにもなるしハイにもなる。その一言は蛇足。

…そうだな。分かりやすく書くか。「ヘルメットが割れるぐらいの衝撃で派手に落車した選手がピクリとも動かず。『担架担架!』となって運ばれていきました」
そんな落車を見た「直後」に「骨の1本や2本折れてたって出てきますよ」みたいな「ポジティブな内容」が言えるか? 「まず無理」 それが「人間の根っこ」。

「直後→情報がない」 「数時間後→病院で検査を受けたところ脳震盪はありましたが骨折などの異常は見られませんでした」 となって「不幸中の幸い」と認識する。
「時間の経過」 と 「情報の有無」 どうもこれを考慮しないで後世の神の様な人間が赤子の腕を無意味に引っ張っている様な印象を受ける。まぁ「落ち着け」だな。

2010年12月19日(日)06時49分42秒