最近。他人を割と排他的に取り扱う文面が増えている。理論はある。具体的に?あぁ、具体的に書けば以下の3つとなる。
1:「何を言ったか」ではなく「誰が言ったか」でその発言内容に注目する注目しないと言う決定の方向を決める。
2:有名人が言った、ブサヨマスゴミが言った。などの「肩書き(権威)」で話の内容を信用する信用しないと言う浅はかな決定公式を持っている。
3:自分の知り合いの言う事以外は聞けない、自分の知り合い以外とは付き合えない、などの徒党を作る。生まれた直後からそいつらと知り合いだった訳でもないのに。
1から3までの内容。これが「大衆が衆愚と化すプロセス」に他ならない。これを見て、俺は排他的な概念を提示する事になる。馴れ合いが嫌いなんで。
俺が他人を見ていて思うのは「他人の脳味噌で考えた事をさも自分の脳味噌で考えた事かの様に偽装して発言している」事が多い事多い事。そこら辺を俺は嫌う。
そうした脳味噌の使い方がゴミ腐ってる連中に俺はついていかないし。また、ついていけない。そう言う内容でしかない。最近はそうした構図があまりにも散見されている。
「他人ってそーゆーの多いよなー!(笑)」と最小限指摘した上であとは「自分だけ避ければいい」として、さっさと大衆との違いを認識して自分は1人で歩きだす。
自分が今ある現実。と言うのが自分が情報弱者かそうでないかを体現しているその手の風潮。口先で偉そうな事言っても貧乏人じゃ全く意味がない。
それで終了する。例えば携帯電話に詳しい人間が下手な料金プランを選択していたり下手な携帯本体を選択していたりする事が「ない」のと大体は良く似ている。
どうもな、そこら辺に関する現実と言う物が見えてないで最初から最後まである程度筋の通った言論を吐く事もなく右往左往する他にない大衆の愚衆のなんと多い事。
まぁいいや。あぁ、タイトル?「最近は下手にコラボ企画を推進しようとしている下衆が多すぎる。千両役者ではなく大根役者。物語Aと物語Bを混在させると
物語Aの世界と物語Bの世界の両方が『所詮は作り話か、あぁウゼぇウゼぇ』となって嫌われる要素が多発する」事に気づいてない連中が多すぎる。
侵略!イカ娘の水島努監督がニコニコ生放送に出演した時に「カメオ的なポジションでインデックスを描いた作画があった」みたいな事で「それを消した」と発言した。
あぁ、それでいい。そう言ったコラボ的ニュアンスのそれは視聴者が勝手に楽しむべきものであって制作の側から提示される物ではない。千両役者ではなく大根役者。
とにかく「世界観をきちんと明確に、ここからここまでと言ったラインをきっちりと引いて物語は作るべきである」からな。俺はそう思っている。水島努グッジョブ。
あぁ、インデックス描いたのを誰がやったのかは知らないが、別に恥じる事ではない。そう言った「遊び心」がなければ楽しいアニメは作れない。あくまでも
監督レベルがきちんと止めてさえいればそれで何の問題もない。俺が言いたいのは「作品の世界観を壊す様なコラボを制作の側から提供するのは下卑たる行為」だと。
「出しゃばるな」と。視聴者の側からマッシュアップして楽しむ様な「早苗+エルシィ で さなエルシィ」とか言って伊藤かな恵ネタで遊ぶ様な行為はしても構わないが
そうした概念を制作の側から提供して「ほーら面白いでしょー」とかやる様な行為を俺は心の底から反吐が出るとしてそう言う事をする連中は下衆として取り扱うだけ。