2010年12月25日(土)ファーライト(far light)

来年4月の東京都知事選挙で反石原みたいな事を表明しつつあるアニオタだとかが目立ってきてるな。実に愚か者だと言わざるを得ない。
何故そうなるのか?「教育が不味いから」。たったこの一言で終了する。つまり「身になる教育」なんて殆どされてないんだよ。「教科書の内容を覚える」それだけ。

実際問題、人生の内の殆どは「実経験と哲学論」の2つで事足りる。学校教育はあくまでもそれらの補助となるだけ。つまり「サブ」なんだよ。サブをメインにする。
肝心のメインが抜けている。だから「頭の抜けた奴。炭酸の抜けたコーラみたいな思考しか出来てない奴が大量発生する」現実がここには存在している。まぁいいや。

政治家なんて言うのは「比較」で選ぶもの。つまり「誰が比較的マシか」程度の事。「町の食堂とコンビニ飯と不味い嫁のメシ」どれを食うか。せいぜいそれだけの事。
せいぜいそれだけの事でしかない。比較をしろ。そして比較で比較的マシとして選んだ奴も万能ではない。むしろ底辺。って言うか底辺に近い。

だからこそ「監視の目を怠るな」となる。…どうもな、政治家と言う者を高貴な者として考えるバカな輩があまりにも多すぎる。むしろ低俗。そして底辺。これが「現実」。

さて例の東京都知事。あぁ、「石頭。ついでに言えば老害的な感触で物の考えが凝り固まっている」が故に「新規的発想。若者向け発想」が苦手なだけ。
それ以外。例えば三国人発言。そこら辺に対する「反日ならず者国家に対して例えば出費を止めたりと、最小限のやる事はまぁまぁ(あくまでもまぁまぁ)やっている」

こう言う現実「も」ある。どうもな、万能ではない者を取り上げて万能的な扱いをするマスゴミだとかが存在していてそれらにまんまと騙されているカスが割と多すぎる。

…今の10代後半のゆとりは例えば4年前の選挙、2007年の東京都知事選挙なんて知らないだろ。きちんと「教える」役目の人間もまた必要。理解されなさすぎ。
2007年の東京都知事選挙では実質石原と浅野の一騎討ち。…これなら石原を選んでも仕方がないな。何せ浅野はゴミサヨク。だから。

…今の日本人の大半は「比較」と言う行為を否と考える。だから大衆の頭の使い方は俺からしてみれば最初から全くお話になりませんね。と言う一言で切り捨てている。

今は全国47都道府県、それぞれの首長や議員。そうした連中で「誰を」選んだのか。それによって都道府県が「差別」される時代へと入っている。そこにはミスリード。
当然「政治家としては比較的マシな方なのにブサヨマスゴミや反日組織からえも言われぬひどい抽象的な中傷内容を受けている」政治家も存在している。麻生太郎とか。

そうしたミスリードも大量に含まれているけれども、やはり都道府県は「出身政治家」によって「差別」される時代へともう数年前ぐらいから突入していると言うのが現実。

政。その都道府県それぞれの民度と言う物は「誰を(政治家に)」選んだのか。これによって大きく上下する。…どうもその事を大衆はまだまだ分かっていない。
そりゃそうだ。自分の住んでる都道府県を自分で悪く言う奴なんて滅多にいない。「宮城県民が宮城県を悪く言う」なんて言う事はあまりない。自分の否定になるからな。

こうしたバイアスを認める。こうしたバイアスが世の中には存在している。その事を認識した上で俺は「人間の感情さえも理論に組み込む」とした「超理論」を適用する。

元宮城県知事の反日借金知事浅野。こんな奴が東京都知事にその時当選していたら今頃東京都はファンキーな事になっていただろうな。勿論悪い意味で。
それが「ゆとりの知らない2007年の東京都知事選挙の情勢」でしたと。一応この事もきちんと書いておく。「過去現在未来」きちんと「比較」しないとダメだろ。

そして更に書けば最初に書いた通り「政治家なんて底辺底辺。むしろ国民が県民があるいは都民が監視しろ」となる。どうもな、「お上」に政治を任せる意識。
この腐った「上意下達を良しとする反吐が出る日本人の大衆意識」が無くならない限りこの国に真の意味での民主主義は根付く事がないな。

民主主義が良いとは一言も言ってないけどな。政治システムをガラリと変えるなんてまず無理。だから「枠内で」あれこれすると言うのが人間のまず限度。それが現実。

2010年12月25日(土)00時22分27秒