2011年01月09日(日)Go to Heaven at tonight.

外出。高崎のジャマダまでチャリで往復して筋トレ。それ以外。「他人が俺とどう違って俺が他人と分かり合えない理由はなんなのか」それを相対化して比較する。
そのやり方が甘かった。かつてない比較を行う事で今回の日記が一連の比較比較比較とする比較が重要と言う俺のマイノリティな見地を述べる最終回とする。

1:他人は徒党を組んで行動する事を是と考える。俺は否とまずは考える。その違い。 2:他人は脳味噌が徒党を組む事で縮小化する縮小再生産モードに入っている。
仲間内だけで通じる概念を仲間外の連中にも吐き出すバカっぷりを見せる。俺は相対化、もしくは普遍的な言葉を使う事。その方法を用いて話を鳥瞰化する。その違い。

主にこの2点。あぁ、だから俺は他人とは分かり合えないのか。と言う事が非常によく分かる。…そして、上記の2点が俺の独りよがりではなく現実である事を証明する。

店員「何かお探しっすか?」 俺「レスポンスの早い携帯探してるんですが」 店員「××(キャリア名)の携帯はどれも早いっすよ」 …実に浅はかと言わざるを得ない。
それは「××(キャリア名)の中だけの話」だよな。いくら自己ベストを出した所で、他人の記録と比較してそれが劣っていれば、それは「負け」にしかならないんだよ。

…これが現実。この店員の言動。「仲間(自分のキャリア)だけ」知ってて他は知らないから相対化出来ていない。「比較」と言う概念を全く使っていない。片手落ち。
これが「バカによる頭の使い方ショー」となっていく。「仲間内だけで通じる概念を仲間外の連中にも吐き出すバカっぷり」を見せやがった。これが「他人と俺の違い」となる。

ここで俺が反論する?すると「そーなんすか?」と返ってきた訳だが。…なる。仲間内だけで通じる概念を日常的にばらまいていると、仲間内以外と言う概念を
「異物」として捉えて物事を考える様になる。「自分と相いれない物は異物」だからな。その「正当性の有無」を考慮するよりも先に「異物」として捉えて排除する。証明。

以上の展開を以て「説得力」の3文字を付加させる事にする。…しかしそれでも他人は認めないのが「現実」。この「齟齬」こそが「コンフリクト」と俺が呼んでる概念の類。
「仲間」と言う概念に過度に甘んじると「比較」と言う行為をする事が出来なくなる。それが「バカへの第1歩」となる。だから俺は「否とまずは考える」事にする。

あぁ。幾ら俺が「その携帯キャンペーンは客の事を考えていない。客の事を考えれば相対化し、A is better than Bの比較級を用いて商品を比較出来た方が他人にも
分かりやすい。それを全くしないで『××がなんと○○円!』こんなクソつまんねぇ宣伝文句でさもこれがすごい物ですよ的な欺瞞をまき散らす様な下卑たる行為」

と断罪した所で、日本人の他人と言うマジョリティ集団は「相対化する事をしない。相対化する事が是だと考えていない。相対化するだけの知識を有していない」が為に
俺の言う事を全く理解できない状態となっている。まるで大人と子供だな。無論どちらが大人であるかは言うまでもない。なんだ?このガキどもによるキャンペーンは。

仲間意識と言う「他人を排除する」意識で以てキャンペーンをやっている。「キャンペーン部隊のお給料の為のキャンペーン」であって客の事なんざ全く考えていない。

こうなる。…これが「コンフリクト」つまり「俺が論理的に話をしてもそもそも他人がそれらを理解出来るだけの土壌を有していない」が故に発生する概念の発端。

…だから俺は他人をある程度場所を変えて見ていく事にしている。「2階から1階を見下ろす」行為でな。鳥瞰化。この方が「視野が広く見える」ただそれだけの事。

1:他人は仲間意識の有無で排除と許容を決めていく。 2:他人は上意下達で正誤を決めていく。上に言われた事は正しい。と言う概念を使う。そうとは限らないのに。
3:他人は仲間意識の中に自分が在る事で安堵を覚える。そしてそこから離れたくないと言う精神が故にその仲間内だけでしか通用しない概念を使いたがる。
それを使わなければ「自分が排除される」と言う概念を持っている。実際「持っていない」連中は排除の対象となる。悪い事をするのが「集団」となりがちな理由。

…分かりやすく説明しようか。暴走族が暴走するのは大半が「集団」。「1人暴走族」なんて言う「1人カラオケ」「1人ボウリング」の様な行為は殆どない。これが「現実」。

俺はそれら3つの概念が全く以て理解できない。理由?「仲間と言う集団を形成すると、とある誰かの判断に引っ張られて後悔の残る判断をしがちになる」事を
よーく知っていて、それは時として死へとつながる事も知っているから。…他人の脳味噌で考えた事をさも自分の脳味噌で考えたかの様に偽装する行為。

それが「仲間」の定義。俺はそう言うの嫌いなんで。「自分で考え、自分で決め、その一連の流れに至った理由を相対化して理論的に論理としてつとつとと語る」
これが「出来る」人間でありたい。そう思う。…今回の高崎のジャマダでの「バカ店員大集合」の構図を反面教師として、今回の日記でもの凄く分かりやすい形として
書いておく事でこの内容をデータベースとする。…日記に書く事で俺の脳内に発生した「短期記憶」が「長期化」していく「教科書モード」へと変容を遂げる。

「教科書モードへの変容」これが俺の為になる。だから俺はデータベースとしてサイトを非常に見やすく分かりやすい形としてリスト化して自分で使う為に構築する。以上。

2011年01月09日(日)20時19分21秒