2011年01月17日(月)マキャベリアン

経験と歴史の違いについて認識していない奴が多いので軽く書いておく。「経験:自分限定」「歴史:他者が見てもそれほど大きくは変わらない物事の内容」この違い。

俺が女の子をナンパしたとする。俺は「女の子とお喋りして楽しかったなぁ」と思う。「それ」って相手も同じ事か?違うだろ?「但しイケメンに限る」これが現実。
女の子「げー何この人ー」と思う。それって「お喋りして楽しくなかったなぁ」と思う。そう言う行為だろ?要するに。この場合には「経験」と称した方が適切。

翻って。「俺が女の子をナンパした」それはつまり逆に言えば「女の子が俺にナンパされた」事になる。「した」「された」の違いはあれど「ナンパ」が発生した事は現実。
「ナンパと言う行為があった」これが「歴史」になる。…以上の結論を以て「経験:自分限定」「歴史:他者が見てもそれほど大きくは変わらない物事き内容」と定義する。

俺が重要視しているのは歴史の方だから。つまり「誰々は何々をした」までで十分。「その時何を思ったか」までは語る必要は特にない。前者を俺は重要視する。

…しかし。日記の書き方で重要なのは上記の自己紹介的な観点が逆転される。つまり「その時何を思ったか」が書かれてあれば書かれてあるほど
その日記を読んだ人間はその日記を書いた人間に親近感を覚える事になる。…それがクリアされていないのは有名人の日記。有名人は顔が割れてるからな。

「今日誰々と何々をしました」で終わっている。有名人。もしくは頭の回転が足りていない女の日記やtwitterやブログだとかによくある文章の組み立て方。

「その時お前は何を喋ったのか」「その時お前は何を思ったのか」…「それら」が全く書かれていない。俺はそうした頭の悪い女の文章を「物足りない」として切り捨てる。

…ごく少数ではあるが、あるいは頭がいいのかもな。「自分を隠す(自分を飾る)事に掛けては女の方が長けている。その事情につき文章の組み立てを無味乾燥にする」
と言う意味で。しかしそのどちらにしようとも「物足りない」「無味乾燥」「八方美人」「結局自分がいい様に思われたいのか」のキーワード4つでその行為を論破する。

俺が現時点でベターだと考えている内容は「上記の両面をきちんと切り込んだ内容」で「その比率は歴史7、経験3ぐらいの割合で使う事」と考えている。以上。

2011年01月17日(月)15時28分56秒