2011年01月23日(日)ムーンファクトリーズフェスタ

おまけアニメ「とある魔術のいんでっくすたん3」の中でイカ娘ネタをやったらポニーキャニオンのぐろがネガティブコメントを発しちゃったでゲソ! の巻。

[ あれ?こんなところに ] 日曜日の虎ノ門は静かです。イカ娘のパロディと受け取れる映像がネットに上がっている問題について、制作スタッフも委員会関係者も
困惑しております。あくまでもファンサービスの為の愛故のパロディだと思っておりますが…少なからず悲しい思いをしたスタッフや関係者がいることも事実です。
内容について快く思わないファンの方もいらっしゃるかと思います。少し胃が痛む若輩プロデューサー“ぐろ@ぽにきゃん”でした。(1月23日 16:41)

「情報戦争の敗北者」だな。ぐろは。こうやって次々と情報戦争時の戦い方も知らずに斃死する「現代版:竹やりでB29に向かってしまう民」の様な構図が再現される。
死屍累々。実際に死んだ訳じゃないから気がつかない事が殆どなんだが「そんな戦い方で大丈夫か?」と言わざるを得ない他人の多い事多い事。死屍累々。だな。

1:現代社会は「話の通じる相手」なんて皆無。重要なのは「とある出来事が起きました」に対する「感情を表現する情報」ではなく「対応を表現する情報」をメインにしろ。
2:twitterやブログに投稿する前にその文章をもう1度読み直せ。「自分が分かってる」では意味がない。如何にして「他人に分かって貰える」か。「客観化」の文体にしろ。

1と2の両方で「ぐろは分かってない」 …つまり「インデックスの攻撃!ぐろは3824のダメージを受けた!ぐろは(ネット上で)死んでしまった」
「おぉぐろよ、しんでしまうとはなさけない」 …こう言う状態になってしまっている。あぁ。「戦い方」を分かっていない丸腰か。仕方がないんだけどな。

日本は海に囲まれた国。他国が攻め入る、と言う行為が近代まで行われて来なかった。「外国人」を日本人が認識したのは例えば一部の人間に限定するなら
フビライハンが北九州に攻め込んだ行為(元寇)、あるいはペリーによる浦賀への来港をきっかけにした鎖国の終わり。の時代か。「他国が攻め入る≒他人が攻め入る」。

「一般人の日本人が」外国人を認識し始めたのは基本「明治、大正」の時代。つまり今からせいぜい100年程度前の事。皇紀2671年。つまり「2671分の100」程度。
パーセンテージに直すと「3.7パーセント」程度。「日本全体の歴史の開始を神武天皇のそれと仮定して、外国人が入ってきたのは歴史全体の3.7パーセント」程度。

だからな。「常日頃から隣国による攻撃があるかもしれない『他国と陸続き』」な国家とは違って日本は海に囲まれている国が故近代まで外国人が攻め入って来なかった。
つまり「対外国人≒対無理解者」に対する「抗体」「方式」が全く出来上がっていない上に、戦い方と言う「コンセンサス」も全く取れていない。だから情報戦争に負ける。

…さて。とりあえず「戦い方」を伝授しないと話にならない。コンセンサスを得るにはまず「お手本」を見せなければならない。「こう言う風にしろ」とな。何その上から目線。

1:「何故」困惑しているのか。当人は当事者だから自らの心理は手にとる様に分かる。…が、人間の心理は「他人には見えない」事を忘れている。「それ」を説明しろ。
2:「悲しい思い」とは具体的に何なのか。それが全く以て不明瞭。「何故」を追求する形。それを主題として「その説明」を副産物としてメインとサブに分ける事をしろ。
3:それ以前に「困惑」だの「思い」だの感情をメインとした文章の書き方ではなくあくまでもそれはサブに回した上で「では」どうするのか。こちらの方こそ主題にしろ。

以上。俺がカルト宗教の信者を断罪している最大の理由は「話が通じないから」これに尽きる。カルトはカルトで楽しくやってりゃそれでいい。しかし攻めてくる。何故か。
「カルト信者同士で楽しくやってても単なる縮小再生産。規模を大きくしていかないと死ぬ。カルト宗教は自転車操業と同じ。止まったら死ぬ。だから攻めていく」から。

価値観の違う連中同士なんて話があわないのは当たり前。でもカルト信者は規模を拡大しないと死ぬ。だから他人に話を持ちかける。断っても話しをしてくる。

「これがある」から俺はカルト宗教の信者を断罪している。…これと似た様な事。要するに「ツーカー」の関係なんてもはや構築不能。人それぞれに価値が異なる。
大衆が誰かの上意下達に導かれていく時代はもう終わり。これからはフラット&ウェブと言う「脱亜論」のそれと似た様な「欧米的思考」も部分的に使う必要がある。

だから。そう言った思考がないから情報戦争に負ける。この場合の「敗北」の定義とは「情報を提示した側の内容に日本人的な思考が満載と言う名の不備がある」事。

…さて。ここまで説明して「俺がぐろだったらどうするか」を提示していなかったな。答えは簡単。「私の侵略が順調に進んでいる証拠じゃなイカ☆」と書く。終了。

1:他人とのコンセンサスなんて「まず取れない」それが皇紀2671年の現代社会。つまり「ダメージを受けましたよ〜」と悲劇のヒロインぶるのではなく
「そう言う行為がありました」「ありましたねぇ(客観視)」…ではどう対応しましょうか?「こう言う対応をすればいいでゲソ☆」その「対応内容」をメインとする。

2:他人とのコンセンサスなんて「まず取れない」それが皇紀2671年の現代社会。そう言う連中は「放置する」基本はこれ。むしろ「踏み台にする」応用はこれ。

以上2点の「では」どうするか。その「では」を中心とした1バイト的欧米思考も思考全体の4割程度ほど混ぜ込んでの「情報発信」とする。それこそが「戦い方」だ。

俺はこれを「出羽三山思考」と口にしている。「では」と「でわ」の違いはあれども口にした時の「音」は同じ。「(何々と言う出来事がありました)『では』」どうするのか。
出羽三山(でわさんざん)とは山形県庄内地方にある月山・羽黒山・湯殿山の総称。 …庄内だけに「他人とのコンセンサスが取れない?しゃあない(しょうない)」だと。

[ あれ?こんなところに ] 日曜日の虎ノ門は静かです。イカ娘のパロディと受け取れる映像がネットに上がっているのを見ましたが、あーこれは人によっては
不快になるかも…とは思いましたが「私の侵略が順調に進んでいる証拠じゃなイカ☆」とイカ娘が言ってたのでそれに従う事にしました(笑)まぁなんと言いますか
「よくもやってくれたな(笑)」ってな感じでもございますが侵略が進むならそれもまた良しかな良しかなとか思った今日この頃でした。

俺だったらこう言う内容にして書く。「メイン」となるのは「感情の触れ幅」ではなく「その行為を認識した」『では』どう対応していくのか。その対応を明示する事。
「私の侵略が順調に進んでいる証拠」「侵略が進むならそれもまた良し」と認識しました☆…こんなニュアンスで他人に伝える事とする。俺だったらこうする。

いずれにしてもぐろ。「やっちゃった」事はもう取り返しがつかないんだから過剰にインデックス陣営を責めても何もならない。むしろ「良き踏み台」として
「積極的に使う(取り込む)」事をしろ。…かと言ってイカ娘でインデックスのパロディだとかはやらなくていい。「大目に見る」だけでいい。そうしろ。以上。

2011年01月23日(日)19時46分37秒