京アニ「日常」舞台探訪 伊勢崎駅の旧駅舎は跡形もなかった。(さざなみ壊変) 京アニの新作アニメ『日常』の舞台探訪地を予習しておこう(ぬるヲタが斬る)
あらゐ けいいち(あらい けいいち)は、日本の漫画家。群馬県出身。代表作は『日常』。妄想がふくらみがちな夢見る女子高生「ゆっこ」の周りにはロボやら鹿やら
謎なものがいっぱい。時定高校を中心に、シャケが飛んできたりこけしが飛んできたりと町中に広がるちょっと不思議でビミョーにシュールな「日常」は始まります。
……この作品に関する舞台訪問と言う事で、伊勢崎市には「(地元民以外の)よそ者」が、現実界隈の情報を知らずにやってきている。そうした「現実」。
別にバカにする意図はどこにもない。こうした「現実」の事例を対比した形に変換した上で利用する。何の為に利用するのか。「関係者脳」が醜い事の「証明」として。
地元民:伊勢崎駅を高架駅に切り換える為の工事をやっていた事を「知っている」。
よそ者:伊勢崎駅を高架駅に切り換える為の工事をやっていた事を「知らない」。
対比。「地元民→よそ者」の情報ストリームは「どうして聖地巡礼オタどもはそんな事も知らないの?」…と考えてしまいがちになる。それが「傲慢」の現況。
これが「関係者脳」に染まってしまう悪しき構図。…この時に重要なのは「知ってる人、知らない人、両方の立場」を鳥瞰として客観視する事。「関係者脳」を脱する行為。
自分が知ってる事を世界の全ての基準と考えて、自分以外の人間の脳の中身がどうやっているのか。どれを知っていて、またどれを知らないのか。
そうした○×形式で穴を埋めていく様な客観的な構図を対比の形として構築する事もなく自分が知ってる事=世界の全ての基準(他人も知ってて当たり前)と考える事。
これが「関係者脳」の定義。
俺はそれらの思考展開を「意地汚い」「頭の使い方がまるでなっていない」「徒党を作る事は単なる縮小再生産」と断罪する。その説明の為に使う。
それだけ。