2011年02月28日(月)ウイングレット

スマートフォンを流行らせたい理由。「アプリ」の充実化。携帯電話のアプリの出来はお世辞にもよろしくない。その殆どが使い回しか、手抜きで占められている。
スマートフォン向けのアプリは携帯電話のアプリと比較して作りも充実させる事が可能。そうした所に夢を見る。夢を見るのは法人が大半で法人の思惑が大半。

個人にとって「アプリは殆ど使わない」「それは法人向けだろうがスマートフォン向けだろうが同じ事」「アプリを自分から取りに行く様な能動さは大半の人が持っていない」

だから。だから「所詮そんなのは夢幻だよ」となってしまう。そこら辺の温度差。ユーザーからの意見は法人には見えない。法人は「取引先」の事が頭の大半にある。
「企業」が、本当にユーザーが欲している様な商品やサービス。また「こう言う制度にして欲しい」とする制度。そうした制度を採用しないのは「それが世界の意志」だから。

もう「そう言うもん」としてさっさと割り切ってしまう。つまり「それが世界の意志」と言う事は「世界の意志の殆どは投機の対象には至らない」となる。

…そこに金を使ってしまう事が。「適当」に「今のユーザーはこう言うタイプの連中(だろう)」とする「メイビー(maybe)」で決めてしまう「メイビー思考」(と今名付けた)。
これがあるから日本の企業は顧客が結果的には見えておらず「エア顧客」に向かって商品やサービスを作ってしまう。そしてこの根っこは日本人の国民病である
対人コンプレックス(トラウマ)がある限り存在し続ける。きちんとエアではない顧客が居るのだからきちんと本音を上手に引き出してしまえば十分にも関わらず。

従って、俺は「世界の意志の大半は投資の対象として不適切」と結論付ける。誰に投資するべきか。「答え:自分」終了。つまり「自分の為になるのかどうか」で決める。

過度なネット依存は自分の為にならない。「1、情報の質の低下」「2、検索エンジンの独占化、並びに精度の低下」「3、そもそも時間の無駄な行為」となる。
「時間を短くしてネットを使う」事にする。…ではそれをなし遂げるにはどうすればいいか。「答え:他人のサイトは見ない。自分の持つ情報のアウトプットにのみ注力する」。

以上。つまり「閲覧」ではなく「更新」。そして「更新の為にリアル上での感覚をこれまで以上にこれまで以上にこれまでよりももっと鋭く研ぎ澄ませる必要」があると判断。

1、自分にとって勉学になる事 2、自分にとって良い運動になる事 3、自分にとって「あ、これは地獄へ進んでるな」と感じる事 をリアルで行う事を優先する。

そして、1から3までの内容で「これはまとめておいた方が良い」と判断した内容をまとめる事にする。サイトは単なる「場所」でしかない。ツールではなく「置き場」。以上。

2011年02月28日(月)01時13分03秒