「きよしこの夜 星は光り すくいの御子(みこ)は 御母(みはは)の胸に ねむりたもう 夢やすく」 …きよしこの夜、の歌詞。意味は
(聖なる夜 満天の星 この世をお救いになるが為に生まれた神の子は 尊い母に抱かれ 健やかに 夢をみているかのようにお眠りになっておられます)
以上。…こう言う時にこそ人間は「本性」を表す。母親とは尊いものと歌われた時代は遥か遠い。現代社会の「3次元」どもは、基本的には「感情」でしか動けない。
1:3次元の女は感情でしか動けない。 2:3次元の女は理論で動く事が出来ない。 3:3次元の女に無理矢理理論を出させた所で所詮その理論は穴だらけ。
以上。3つの展開で以て「3次元の女はこう言う時に本性を表す証明とする。「その本性」はグロテスク。この上なくグロテスク。非常にきな臭く、バカとしか言い様がない。
「もう寝れない」 「このCMばっかりだから洗脳されそうになるよ…」 これが3次元の女の現実。 な? 「3次元どもは感情でしか動けない」 俺の言った通りだろ?
こう言う時にこそ人間は「本性」を表す。偉人が「結婚に対して否定的な言葉を残した」のも分かる。俺?「1日24時間1年365日ハレに近いケ」で動いている。公言済み。
現代社会においては「バカな男とバカな女が結婚し、バカではない男女は結婚に対してリスクの方が高いと判断して忌避する現実が存在している」そう言う社会。
バカな男とバカな女が結婚して、その2人の間に子供が生まれたら、純粋培養なバカが育って当たり前。「よっぽどの事が」ない限り、バカの子はバカ。そうなるだけ。
1:モンスターペアレント?違う。「モンスタースチューデント」。学校教育にて、基本、親の出る幕はそんなにない。「ガキがアレな事をやる」。それこそが「真の発端」。
2:大体の場合「女が」育てる。ガキを。例えばどこかへ連れて行く。例えば何かを習わせる。…つまり「父母」ではなく「母(ぼ)」の社会。それ「のみ」がガキに伝わる。
3次元の女が2次元の女に絶対に勝てない理由の1つはこれ。「理論がなく、感情でしか動けない」脳味噌だから。…何故2次元は除外かって?「絵コンテ」。だから。
アニメ制作において、よっぽどの事がない限り1話1話に情報量を詰めていく。「お姉ちゃんあれとって?」…こんなセリフはまず使えない。「余計な時間が掛かる」から。
「お姉ちゃんあのコップとって?」…大体の場合セリフはこうなる。もう最初から「あのコップ」と明確にしている妹のセリフ。こう言う風にして「コンテ」は出来上がる。
…よっぽどの長回し。なんらかの理由があって「あえて」抽象的なセリフを吐かせるパターン以外には、情報を詰めていく為に、ある程度「対象が明確」な展開として進む。
「お姉ちゃんあれとって?」「あれってなんだよ?」「あの机の上のー」「机の上のなんだ?」 これで5秒。 「お姉ちゃんあのコップとって?」「ん」 これで2秒。
実は「2次元は自然と3次元の女の感情でばかり物を考えがちになる西暦2011年の現代社会においては説明内容の明確性質こそが有益とされる時代にそぐわない
頭の使い方を自然と回避しておりました」となる。あとは「(基本)老けない」だとか「おっぱいが大きい」とかそう言う理由も付着して「2次元ハァハァ」へと繋がっていく。
3次元の女は、もう「リスク」として考える時代。そろそろ「生命保険」「がん保険」「女保険」の導入を真剣に考える時代だと俺は思っている。「乖離」が大きすぎる。
1:ショッピングセンター。3次元は女の方が、気に入ったものに対しては金に糸目をつけずに出費する事が多い事から「女性向け」の店の方が多く出店している。
2:現代社会は「女性向け」と言う市場を開拓しようと躍起になっている。「女子なんとか」「春色コスメ」「なんとかガール」。こうした消費喚起の矛先の「大半は」女。
無益に近い事に金を使い、プライオリティの順序1つもつけられず、それを指摘すれば感情で以てピーピーと火病り、ガキをこさえればまるで自分の装飾具の様に扱う。
自分の子供は、アクセサリーじゃねぇんだよ。最近は「そうやってアクセサリー感覚で自分の子供を扱う若年の母親」の存在が増えている。違う。あくまでも「個人」。
ただ、脳や身体が、発育途上の為に、十分な能力を発揮する事が出来ない。従って、周りの大人や、あるいは社会が「助け船」を出す必要がある。そう言った「従事」。
子供に対する対応は「従事」と言う言葉に代表される様な感覚が現代社会ではベターであってあくまでも大人としてしっかり育てる為の心構えの持ち方はそうやって
構築していくべきであって、それは子供を上に見ると言う事でもなければ下に見ると言う事でもなく生物学上における「成長」の曲線と言う歴史を眺めての結果である。