皇紀2671年の長きを持つ日本と言う国が、国が出来てから235年ほどの「アメリカ合衆国」になんでもかんでも頼りっぱなしになっている件について。
やはり、俺の見立て通り「日本人の政治に関する内容、国防に関する内容への能力は5流」だったな。そうやって「俺の言った通り。俺の見た通り」の展開となっている。
日本人はどうしてこうも頭が悪いのかって?答えは簡単。「アメリカは、1歩またげばよその国。例えばメキシコ。そうやってよその国と
国境を面していると言う事は、常に隣国からの例えば不法入国など、そうした国家としての体が脅かされる事があるかもしれないから」だから。
アメリカ。ヨーロッパ。陸続きで隣の国と接している場合にはそこから軍隊が入り込む。有事、の時にはそうした可能性がある。合意。コンセンサス。必須。
「互いが勘違いを起こさない様に」明確なルールを定める事での「自衛、防衛」とする意識が国民の間でも常日頃からある程度の意識が保たれているから。
だから「こうなる」。それに対して日本の場合は四方を海に囲まれていて、基本的には他国の人間がいきなり踏み込んでの戦争だー!と言う事はない。
だから「以心伝心」「言わぬが花」の様な「秘め事(隠し事)」が良き物、として重宝されてしまう「国民性」が出来上がる。こうやって「国民性の違い」は出来上がる。
……あぁ。どちらが良い悪いとかないよ。疑心暗鬼が続く陸続きの国家。隠し事ばかりをする海に囲まれた国家。デメリットを比較で認識した上でそのマイナスを消す。
他人は「プラスになる事をする」と考える。違う。俺は「マイナスを埋める」と考える。つまり「可能な限りゼロへと近づける(現状の内容は常にマイナス)」だから。
他人、正の数。俺、負の数。 …他人のやり方の98パーセントは俺にはそぐわない。俺のやり方の98パーセントは他人にはそぐわない。
パーフェクトエリアコンフリクト。それが俺だから。あぁまたマイノリティだなぁとか思って現実を軽く笑った上でさっさと「自分だけよければいい」として次へ向かう。
あぁ。相変わらず自粛ムードが満載だな。「他人」はミクロとマクロを区分けする事が出来ないからこうなる。節電?あぁ、「いつまで非日常が保てるか?」だな。
女のダイエットと一緒。女のダイエットが長続きしないのは「困難に立ち向かってるアタチってばカッコいー!」みたいなクソ非日常環境を構築してしまっているから。
「非日常はそれだけで強烈なストレッサー」。それが「現実」な。他人と言うのはエア顧客、エア被災者の様な形で「こうだろう」と勝手に作っているから質が悪い。
節電は構わないがどこか1ヶ所普通に日常☆ってな感じの販売スペースを用意しろ、スーパーマーケット。例えば試食コーナー。どっか「1ヶ所」では派手にやってる。
そうやって「日常をどこかでキープする行為」をしないと普通に今生きている人たちまでもがくたばってしまうっちゅーねんボケ。としか思えないこのドM民族どもが。
あぁ。俺「ネオ日本人」だから。その定義とは「日本人の良い所はそのまま維持し、日本人の腐った所は8割方捨て去った上で世界でも類まれなる高貴を手に入れる」者。
現実と照らしあわせて鑑みて、役に立たない内容や行動だったらさっさと捨てろやボケ。としか思えない。あぁ「地震だとかの災害発生時にはこうするべきである」とする
その内容。他人が衆愚がバカどもが。勝手なコンセンサスを作ってやっちまってる様なそんな薄らキモくてバカげた「非日常」。それを成しちゃってる時点で俺には無理。
非論理的だな。軽く反吐。顔には出さないポーカーフェイスで、ドM民族どもの衆愚をあざ笑う。俺「ネオ日本人」だから。あとは1つの軽い幸運か。
伏見俊昭のブログで3月「9日」に宮城県で発生した震度5の地震の揺れについて書かれてあった。俺はそれを見て動物的勘が働いた。「もしかして」。と。
だから「現実に処した時にこの行為、この言動、この思考。本当の本当の本当の本当にこれらは役に立つのだろうか?」として残す、捨てるを実行した。
地震なんて来ないのが1番いいんだが世の中そうもいかず。起きなかったら「起きなかったね」と言って終わればいいだけの事。思考を整理すれば大きなミスは無い。
そうやって「現実と照らし合わせてみてその行為は役に立つのか立たないのか」を取捨選択していたらこの様相となってしまいました。と言うのが俺の現実だから。
まさかこうも俺単独の取捨選択が役に立つとは思っていなかったな。いや、出来れば役になんて立たない方が良かった訳なんだけれどもな。実に世知辛い。
1:募金をお願いします連呼はクズ。確かにお金は大切。しかし街行く連中はその言葉を何度も耳にしている様なダウナー状態となっている。「非日常」を作るな。
有名人が有名税で集めるのとは違って、無名な奴が連呼した所で効果は薄い。その突っ立ってる時間バイトでもしてその金を募金に回した方が集まるよ。
2:節電してます的なアピールをカマすポスターに意味はない。「営業中」と紙に書いて張り出す行為に意味はない。「見れば分かる」事をアピールするな。
そんな非日常アピールは無駄に疲れるだけ。節電が「かえって長続きしなくなる」方向へと向かってしまう。如何に「日常の中で節電するか」の方が大切。
3:ツボを全く押さえていない。電力消費の最たる内容は照明と冷暖房(空調)。この2つ。「節電の中で特にツボを突く様な展開」を踏まえれば簡単に節電出来る。
4:非日常をアピールするな。過度な自粛をするな。例えば高崎のジャマダで普段は派手な衣装着てやってる様な販売促進3次のババアが地味な姿。
だーかーらー。そうやって「非日常に耐えるアタチカッコいいっ☆」みたいな感じで自分に酔うな。「非日常を演出しまくってる様な奴はウルティメイトバカ」それが現実。
だからな。現実に則して、現実と見比べて、現実の状況に有効に対処出来る内容なのかまた対処出来ているのかいないのか。それを「精査」するだけの脳味噌。
それを「精査」出来るだけの脳味噌を日本人の大多数は持っていない。何故かって?「悪しき上意下達。日本人は傀儡になりやすい。ブサヨマスゴミを信用しますか
信用しませんか調査で欧米と比較して信用すると答えた割合が大きくなってしまっているのも割と頷ける。『自分の頭で考えない』ゴ民族。それがただの日本人」。
「比較」と言う概念を使い、「視点の違い(犬猿雉。目線の違いが教材になる)」を意識した上で「本質」を突く内容かどうか、を「自分で」考えて決める。