2011年04月15日(金)フィリア

「日本がひとつになろう」とかホザくスローガン社会。「欲しがりません勝つまでは」と同じ。スローガンでお腹がいっぱいになる訳ではない。悪しき上意下達。
ここ最近の「悪しき上意下達」の普及っぷりには反吐しか出ないな。「それをやる事が本当に役に立つ事なのか」と精査もせずに「役に立つだろう」で通すバカどもの宴。

1:スローガンで鼓舞する企みは失敗する。「何をしたらいいのか」分からないから。大衆は傀儡。「××しよう」の方が分かりやすい。大衆に自己思考する力は無い。
2:むしろセグメンテーションを明確にした方がいい。「ひとつにならない」方がいい。それぞれがそれぞれの立場できちんとやるべき事をやる。そっちの方が実は早い。
3:「それをアピールする事が本当に役に立つのか」きちんと「論理的に考えた結果、役に立つと考えました」で無ければやらない方がいい。無能な働き者はやっかい者。

俺は基本単独行動ばかりな訳だがここ最近では更にその様相を強めて行動している。理由?「他人の行動事由の大半が『浅はか』でそれがストレッサーになる」から。
ここまで自分と他人の考え方が異なっているともはや異次元級。「どうしてそんな役に立たない事するかな。役に立たない事口にするかな」で終わる。「精査」の有無。

精査(せいさ):詳しく調べること。 性差(せいさ):雌雄の動物(ヒトにおける男性と女性)の性別的な差異のこと。

ひとつだけ具体的な例を示すか。「Pray for Japan」。これ、悪しき上意下達。他人がこれを使う度にお前バカなんじゃねぇの?としか思えない体たらくに反吐を出す。

1:当事者が祈る(Pray)だけってどう言う事。むしろ「Play」の方がいい。 → Play fair(公明正大に行う) 具体的な「実行」はLの方の「Play」の方がニュアンスが強い。
2:前置詞。forではなく「to」の方がいい。「for:向かってます(届くかどうかは不明)」「to:向かわせます(強い意思がある)」この「ニュアンスの違い」を無視するな。

外国人が使い始めたこのセンテンス。そりゃそうだ、外国人からすれば日本なんて所詮は他国でかないんだから。送ると言う意味で外国人からなら「for」でも分かる。
ただ日本人は当事者だろ?当事者と外国人が同じ様な事やってどうするんだよ。むしろセグメンテーション化。具体的な行動をするのが日本人の役目。だから「to」。

外国人コンプ丸出しの日本人が外国人さまさまアメリカ人さまさま的な事ですっかり奴隷と化した様な状態で外国人のやる事はなんでもいい事だ綺麗な事だ
自分らも取り入れるべき事なんだ的なつまんないイメージ(何故そう言う風に考えるんですか?なんで?なんでなんで?なんで?)で物を通そうとするゴミ腐れっぷり。

…あぁ。図らずも現実を証明してたな、俺は。「日本人の大衆は対人コンプ」「自分で物を考えない。他人の頭で考えた事をさも自分の頭で考えたかの様に振る舞う傀儡」
「悪しき上意下達。allow、denyと言う大衆の悪しき思考順序」「情報を近接で見るだけしか出来ないと言う単一行動の不味さ。情報は多角的に、鳥瞰で見た方がベター」

これら全て、2011年3月11日よりも前に俺が自分の日記で書いてきた事。「だから」大衆は役に立たないバカが殆ど。と結論付けた。今、まさにそうなっている。

ひとつだけ具体的な例を示すか。「節電、続いてますか?」そろそろ大衆はギブアップしそうな頃合い。理由?「非日常に耐えうるアタチってばカッコいー」だから。
バカが。女のダイエットが続かない理由は非日常の生活を送ってしまうから。如何にして「日常」の中にそのギミックや行動パターンを取り入れて無理の無い様にするか。
それが「頭のいい奴」の行動指標の具体的な事例の1つ。「節電節電節電節電」と意識すればする程「逆に続かなくなる」。それが人間心理の現実。

人間の心理をも理論として取り込む「超理論」。俺はそれを発揮してるからな。3次元の男女。節電に興味あるのは主に男。男の興味度を10とするなら女はせいぜい2。
女は節電出来ない生き物。3次元の女は存在そのものが「リスク」。それが現実。「感情でしか動かない。理論を持って動けない。理論を作らせても穴だらけ」だから。

以前にも書いたな。西暦2010年の現代社会は論理で以て内容を説明しなければならない社会。社会の中で個の時代が進み、自分の行動や思考に関して
他人が全く理解出来ない様な断絶化が進んでいるので、自分を説明するには鳥瞰化した内容を論理的に説明なければならない時代。女にはそれが殆ど出来ない。
女にとっては「受難」の時代。だと。「エアコンをつけたがるのは女。ドライヤーを良く使うのは女。テレビを見たがるのは女。テレビに影響されやすいのは女」。

エアコン、ドライヤー、テレビ。…冷蔵庫と照明以外の「電気を食いまくる電化製品」の対象の大半は女。これが「現実」。3次元の女は存在そのものが「リスク」。以下。

エアコン:3次元の女は感情で動く。熱さ寒さに耐えうる武士(もののふ)的な感覚がない。いわゆる「武士は喰わねど高ようじ」。そうした概念は女にはない。
ドライヤー:髪の毛を乾かすと言うオペレーションそのものが「女っ気」。ドライヤーのデザインや、あるいはカタログの表紙。如何にも「女っ気」。
テレビ:よくわかんねぇジャニタレの話をするのは女。悪しき上意下達(ブサヨマスゴミ)のキチガイワードを平気で流用するのは女。「女子」?ねぇよ。「女性」だろ?

現代社会は「お一人さま」社会。他人が全く理解出来ない自分を説明するには鳥瞰化した内容を論理的に説明なければならない時代。女にはそれが殆ど出来ない。
「非日常に耐えうるアタチってばカッコいー」的なスメルをホルホルと出してる様な道化連中はそろそろその非日常的な感覚が耐えられなくなってしまう頃合いだな。

マスゴミの 上意下達に住みかねて もとの濁りの電化恋しき

2011年04月15日(金)06時47分33秒