テレビその物が放射能。「テレビ」はまるで放射能。だから被曝する。あぁ、情報弱者と言う言い方は抽象的なんで「テレビ放射能被爆者」とした方がより正確、だな。
「テレビ朝日」ではなく「テレビ朝日第一原発」程度の認識が丁度良い。あぁ、何故テレビを見るとバカになるのか。その具体的な理論を書いてなかったので書いておく。
1:現代の国民に必要な情報はマクロではなくミクロ。地震発生時に自分の親類に連絡を取ろうとする「身近な環境が見えていない衆愚」はこうして作り出される。
俺?俺は地震が発生しても誰にも連絡を取っていない。どうせ無駄だから。それよりも、自分が存在しているその場所に居る他人をどうやって鎮めるのか。
他人にも家族が居るだろ。そうした他人を理論で以て鎮める行為。俺はそれの方に優先順位を取る。「情報のトリアージを間違えた衆愚」はテレビの選択ミスで作られる。
2:情報の真贋を区分けするのに必要なのは比較すると言う行為。テレビと言う存在が「上意下達の上意」と認識する衆愚のなんと多い事か。比較をしない衆愚。
3:取材しやすいのは人が多い所。取材に行きやすいのは人が多い所。例えば東京都。例えばとあるイベントの会場。そうした「大きい」所だけを見ていると
世の中の細かい事に気がつきにくい性格が出来上がる。世の中、物事の「裏」を見る必要がある。物事の裏A、物事の裏B、それらを組み合わせて「裏情報BA」とする。
そうした精製能力が劣っている。それが衆愚の定義。意外に思われるかもしれないが、世の中の裏情報を探り当てるのに必要な情報は表の情報から滲み出ている。
そうしたまるで地下水が滲み出ている様な所に着目する事が出来るか出来ないか。それが情報弱者なのかそうでないのかを区分けする基準のひとつ。