[ 「四万が第二の故郷」故・児玉清さんを関係者ら悼む ] 77歳で16日に亡くなった俳優の児玉清さんは、小学5年の時に群馬県中之条町に疎開したことを縁に、
毎年のように足を運んで、地元の人たちとのつきあいを大事にしていた。NHK連続テレビ小説「ファイト」では四万温泉の老舗旅館の主人役も演じた。児玉さんは、
岩波新書編集部編「子どもたちの8月15日」に、「疎開先で学んだ貧しさと豊かさ」と題して、疎開体験をつづっている。四万温泉には約8カ月滞在した。太平洋戦争
末期の1944(昭和19)年8月に東京から空襲を逃れて集団疎開をした。友人関係の悩みや食料不足のなか、「四万の人たちの情けに本当に生かされた」と
振り返っている。身を寄せた当時の田村旅館(現四万グランドホテル)の社長田村康さん(78)は半世紀近い交流がある。昨年9月に喜寿の祝いとして当時の
同級生ら約30人が集まった。「少し体調が悪いといって、仕事をセーブすると話していた」「疎開先を児玉さんは第二のふるさとと言って来てくれた」田村旅館近くで
土産物店を営む傍ら当時面倒をみてくれた女性のことは、「秀子姉さん」と慕い、女性が昨年秋に亡くなるまでその恩を忘れなかったという。「秀子姉さん」の長男で
飲食店を経営する田村丞司さん(63)は「母親に代わってしかってくれた。義理堅く、やさしく面倒見のよい兄貴のような存在だった」と寂しそうだった。3月、児玉さんが
珍しく1人で四万を訪れたという。上越新幹線の上毛高原駅から帰京する際、列車がホームを離れるまで、見送りの人に丁寧に頭を下げていたという。(朝日)