2011年05月31日(火)no more selectable.

あぁ。如何に他人が「つまらない、役に立たない、有用でない、無益でしかない」ゴミ情報。それを提供する事に粉骨砕身し続けている様な間違った道を歩んでいるのか。
インフォマーシャル。インフォメーションとコマーシャルの合成語。役に立たないインフォマーシャルを提供する事はディスインフォメーションを提供するのと同じ事。

コンフリクト。俺がしょっちゅう吐いてる言語。それに関する内容は、いやお前の中で想定した脳内で範疇が止まっているだけのそれだろ?と思われる。
…あぁ。確かにな。じゃあわざとコンフリクトを起こしてみるか。そして如何に他人が理論もなく理論も確立していない相手のメンタリティにも配慮しない愚者だらけなのか。

それを証明する。むしろ俺の目的の最上級はそれ。外出。到着。伊勢崎オート。伊勢崎オートのスタッフはボンクラだらけで頭が悪いと言う事を証明する。
どうして証明するのかって?このあとの展開を考慮した場合、否が応にも世間からの審判を受ける事になる。その時になって慌てた所で「もう遅い」からな。

撮影していると青いジャンパーを着たボンクラスタッフが関係者の方ですかと声を掛ける。…最初から「関係者じゃない」って事は知ってるくせにな。

これが「他人」だよ。

他人の定義1:相手に接する事を始める場合、本題からいきなり入る事をせず、あたかも惑星の周りを回る衛星の様な軌道を取りたがる。そうした「失礼な」探り行為。

何回も撮影しているんですけれども本来は撮影禁止なんですよねぇ…。と口にする。

他人の定義2:本心を隠す為に理論を使う。「撮影禁止だから」ではなく「特定の男が自分らが雇った女に近づく行為を縄張りを荒らされた!と判断する」。それが本音。

1枚か2枚ぐらいだったら黙認しているんですけれどもねぇ、さっきから何枚も撮ってるでしょ…?と口にする。

他人の定義3:あとになればなるほど本題を口にする。結論を先に出さない。結論を先に出した方が有益なのにも関わらず結論をなかなか出したがらないバカなやり方。
他人の定義4:お前らずっと前から俺を監視してただろ?それをさも今気付いたかの様にして口にして自己の保身を図ろうとする姑息なやり方。

撮影の定義1:人物撮影と人物撮影以外で分ける。人物撮影以外、例えば物撮りに関しては相手の意思を聞く必要はあまりない。人物撮影。この場合には
どの様な顔で撮影したのか、どの様な格好で撮影したのか、そうした概念に「相手の好き嫌い」が発生する事になる。自分の顔は自分で撮れない。携帯電話のカメラ?
あぁ、普通に画質がプアになるのと写真の中に「自分の伸ばした腕が入る」ので割と姿勢としては人間工学を無視した苦しい姿勢なんだな。と言う事が良く分かる。

…従って「人物撮影のベターな手段とは何枚も撮影した中から相手のお気に入りの写真を抽出『してもらう』となる」。メンタリティに配慮したやり方は枚数が必要になる。

他のお客さんが写ったりすると他のお客さんに迷惑が掛かったりするじゃないですか…?

他人の定義5:自分の頭で考えた事をさも他人との共通項であると誤解する。そう言った傲慢な姿勢。自分が映り込んでいる事を「是」と思うか「否」と思うか。
それは他人1人1人によって定義が異なる。それをきちんと把握掌握する事もせずに自分がそう思っているから世の中もそうなるの!と言いたい姿勢と言う名の傲慢。

[ TKO木本、Googleストリートビューに偶然写り込む「ほんまに載ってた!!」 ] お笑いコンビTKOの木本武宏が、Googleのウェブサービス「Googleストリートビュー」に
偶然写り込んでしまったことをブログで報告している。木本は29日、「感激!」というタイトルでブログを更新。「Googleストリートビュー」に自身が写り込んでいることを
Twitter上の情報で知ったらしく、「見てみるとほんまに載ってた!!めっちゃうれしい!!」と興奮気味につづっている。(RBB Today 5/30)

撮影の定義2:携帯電話のカメラは広角28ミリレンズ。だとかを売り文句にしている。コンデジはせいぜい光学3倍ズームが一般的な平べったい形のそれ。
レンズによって焦点距離が変わる。人物撮影の時に焦点距離を考慮する。…と言う概念を一般人は持ち合わせていない。俺は持ち合わせている。
むしろ画角に関して言えばもっと望遠があってもいいかもな、いやここは広角の方がいいかもな。とする風に頭の中で描きながらの撮影スタイルを俺は持っている。

ボンクラスタッフは「撮影した画像を見ていない」。俺の撮影した画像を見て物を言うのであればまだしも「見ていないくせに語る」と言う様な「難癖状態」となっている。

…従って「画角」と言う概念をカメラメーカーはもっと啓蒙し、携帯電話メーカーは過度な広角は実利用では役に立たない事の方が多いと言う現実を認識するべきである。
…従って「物を見ていないのに『こうだろう』とする仮定形で相手に対して断定で物を言う事は何の意味もなく、そう言う事をやる姿勢そのものが傲慢であるとする。

1人を相手にしている訳にもいかないんですよ〜。みんなのイメージガールだからみんなを相手しなくちゃいけないんですからねぇ…。

他人の定義6:肩書き、あるいは「こうでなくちゃならない」とする思い込み。そう言った「固定概念」で動きを制限させる事を是として考えてしまっている。
肩書きではなく定義でもなく「現状は可変する」とした上での「現時点での現状」に合わせてスタイルを変えていく、と言う概念をまるで欠落させてしまうと言う愚行。

他人の定義7:自分がやってる内容を否定されたくないとするマインドによって自分の行動を絶対の是として捉えている。「本当に有用かどうか」を検証する事もせずに。

検証の内容1:果たしてみんなを相手していると言えるのか。俺は結論から先に出す。俺の結論は「全く相手をしていない(って言うか出来ていない)」。

検証の実論1:100人の客がやって来た際の比率。出走表を渡す。100人中「無視、もしくは拒否が75人」、「一言会話をするのが10人」、「ガッつくのが5人」。
残りの10人は「定義不能」。例えば「一言会話をして拒否をする」など。その場合には「無視、もしくは拒否」と「一言会話をする」の両方に入る為定義不能。

検証の実論2:オートレースファンを相手にするには「ある程度の有用な知識」が必要。…果たして「今の」状態で、それを「持っている」のか?いや「持っていない」。
「決勝進出8名、決まりましたね(5/30 21:14:00)」 …オートレースでは「決勝戦」とは言わず「優勝戦」と言う事が殆ど。「持っていない」事の証明。
こんな状態でまともに相手が出来るとは思えない。「雇われモノの素人のぺーぺーが」と認識されてもおかしくない。最低でも「相手をする」には
従属ではなく充足たるオートレースの知識がなければ相手に出来ない。果たして「今の」状態で、それを「持っている」のか?いや「持っていない」。

検証の実論3:今開催から伊勢崎オートでは新しい予想屋が店を開いた。…そこで話を聞いている人はどれぐらいいる?「殆どいない」。それが「現実」。
…やはり、旧来から存在している古参の予想屋の方が顔なじみである事、また予想実績がある事、それらの概念で以て話を聞いてる人数は多くなる。
「新人」は、えてしてそんなもん。検証の実論2ともリンクするが、「歴史」と「知識」の無い者を相手にする様な客は殆どいない。それが「現実」。

…従って「今の状態では全く相手になっておらず、やはりある程度の時間と知識は必要で、本当に有用な知識をスタッフが提供していると言うのであればともかく
現実的には自分のブログで優勝戦の事を『決勝』と書いてしまうほどに『オートレースの基礎知識もない様な状態』であると言う現実」がある。
「伊勢崎オートのボンクラスタッフはこんな間違いを許してしまうぐらいに有用な知識ではなく無用で不要な知識しか与えていない(だからこうなる)」が証明される。

ファン感謝祭とかの時に撮影するんだったらいいんですけどねぇ…。

他人の定義8:自己保身ならびに理論のない状態での他人の論破。それを図る為に突拍子もない事を途端に言い出すチキンハート。俺は「歴史」であざ笑う。

検証の実論4:2009年の「伊勢崎MOTOR祭り」、2010年の「伊勢崎オートファン感謝祭」。その時に「当時のイメージガールの横山かおりは来ていない」。現実。
検証の実論5:近年の間、過去に「伊勢崎オートがイメージガールの撮影会を開催した」と言う現実は「ない」。
検証の実論6:ツーショット撮影を希望する奴がスタッフにカメラを渡す。「これ押せばいいんですか?」 …それだけ「カメラ知識がない」のに撮影会?無理。

他人の定義9:実際に出来るかどうかはともかくとしてとにかくこいつを言い負かすんだ!とする自己の意識が発端となってありもしない事を口にすると言う「すり替え」。

…如何に「メンタリティに配慮する」と言う事が「出来ないか、出来てないか、またどうやったらいいのかとする理論を体得習得会得修了していないのか」が良く分かる。

はい論破。…しかし現実的には「人物Aがテーブルの上に出した内容、人物Bがテーブルの上に出した内容。あくまでもテーブルの上に出した内容の差異で
物を語るべき事をするべきはずなのに、人物Aは否定されたくないからと自分がテーブルの上に出した内容を絶対の是として捉えてそれを前提として話を進め
時には人物Bの容姿の汚い所を罵って刺激すると言う方式を採用してでも自らの展開だけを正当化させたくなる様なメンタリティ」しか他人は有していないので

論破は無理。つまり「平行線」それが結論。…結局の所は、俺が以前から申している通り「日本人はディベートもディスカッションも出来ない赤ちゃん民族」。となる。

赤ちゃんが、お腹空いたら「お腹空いた」。赤ちゃんが、おしめが濡れたら「おしめが濡れた」。…そうやって喋るか?喋ったら超がつくほどの天才児だな。
学会で紹介するか、はたまた論文として盛り込むか。奇異の目で見られる事がほとんどの「超すげぇ赤ちゃん!」とか言って午後7時ぐらいからのどうでもいいような
芸能人が雛壇を飾ってVTRを見ているワイプ映像が入り込んでくる様なバラエティ番組で取り上げられるのがオチだろうな。「そんな赤ちゃんいねぇよ」だからな。

赤ちゃんは理由の如何に関わらず「泣く」しかない。当たり前だが。「理論を振りかざすと言う事が出来ない」と言う意味では「日本人=赤ちゃん」そう定義される。

ディベート:あるテーマに沿って語る ディスカッション:テーマを掲げずに対人の形式で語る 一応微妙な違いはあるんでそこんところは定義しておきますか。

他人の実情1:自分らのやってる事が絶対の是であり客には受け入れられている!とする傲慢的な上意下達方式。それを否定されれば自己否定とすり替えて
他人の理論ではなく他人の容姿や出来事に対して論破を図ろうとする愚行。理論が先にあるのではなく「こいつムカツク」が発端となっているから「罵倒」する。

他人の実情2:自分らのやってる事が絶対の是であると考えているが故に「改善」すると言う概念をカケラほどにも持ち合わせていない。すなわち
ご意見を伺うのではなく「ご意見を聞いてやる」ぐらいの尊大な態度。それが実情。日本人の大衆に常につきまとっているのは「こわっぱが!」とする感情。

こわっぱ:「娼家で雑用をする少女」。「子供や未熟者を罵って呼ぶ言葉」。

日本人の「対人コンプ(トラウマ的な意味で)」と言う国民性がもたらす不幸。…東北地方太平洋沖地震の発生はなぁなぁにあったコンセンサス(合意)を否定した。

否定の内容1:救援物資を送るんだ! → どこに?誰に?どの様にして?それって本当に使ってもらえるの?有用なの?と言う概念を無視した結果「捨てられた」。
否定の内容2:義援金を送るんだ! → 配分は?いつまでに?どの様にして?遠方へ避難している人していない人で差額はつけるの?どうするの?「定義不能」。
否定の内容3:復興するんだ! → 不安感は?亡くなってしまった方々と残されてしまった方々の心理は復興不可能だろ?復興出来ると言う「傲慢」。

例えばこう言う展開で、それまでに存在していた「災害時にはこうするべきである」と言う内容が。「本当に正しいかどうかも検証していない」内容が「否定」された。
日本人の「対人コンプ(トラウマ的な意味で)」と言う国民性がもたらす不幸。それが「現実」。

にも関わらず「対人コンプから始まった『これでいい『『だろう』』とする思い込み』」が相変わらずこうやって蔓延していると言う現実。
東北地方太平洋沖地震は日本人の対人コンプを理論で解消すると言うギミックを国民にあまねく与えるきっかけとなったはずなんですが他人には伝わりませんでした。

それが「現実」。如何に他人が理論もなく理論も確立していない相手のメンタリティにも配慮しない愚者だらけなのか。それらの「現実」。結論。だから「ボンクラ」。

女性の心理1:3次元の女は本質的にレズビアン。女は複数人で以て徒党を組んで行動する事が殆ど。だってレズビアン(女性愛者)なんだから。
周囲の現実1:1人現場で周りは男。周りのスタッフは男ばっかで男から上意下達を受けて傀儡として行動している様な男の「奴隷」。
苦難の解消1:俺「そう言えば女性のお客さんからも評判になってましたよ?『結構可愛くて私は好きなタイプだなぁ』とか言ってるのを聞きました」と本人に報告。

[ 【伊勢崎オート】スポーツニッポン杯 準決。 ] でも、試走先導のときに近くで拝見しましたが、笑顔が可愛い方でしたよ〜(★オートレースに行ってきました★ 5/30)

女性の心理2:自分は可愛くありたい。自分は美しくありたい。人から見て「美しい」と思われる女性でありたい。3次元の女は「外見」が何よりも優先される。
周囲の現実2:姿見でも使わない限り自分がどう見えているのかは分からない。他人の心理にまで踏み込むと「姿見でも他人の心理は分からない」その不安。
苦難の解消2:「可愛いですよ〜」と口にするのではなく、ある程度「ガッつく」事が実は正解。それだけ私の事を気に入ってくれている、とする充足感。

女性の心理3:スタッフが〜。お客さんが〜。と実は結構セグメントしたがる性質を持っている。つまり「仲間」「仲間じゃない」で本心かおべっかかどうかを判断する。
周囲の現実3:周りはスタッフだらけ。例えばオートレース選手と言う「スタッフ関係者」が幾ら自分に優しくしてくれた所で「イメージガールだから」とする意識が生える。
苦難の解消3:実利関係。それが「ない」。ある種の「ボランティア感覚の立場の人」に言われた!と言う事で「立場の違い」を利用する。フィールド。その違い。

周囲の現実4:オートレース情報を自分のブログやあるいはCS放送で書いたり口にしたりする。「その内容」で正しいのかどうか、ファンから見てどうなのかを知りたい。
苦難の解消4:俺「ブログ見ましたよ。情報はあれでいい感じですよ」 → 俺「あ、そう言えば、決勝って書いてありましたけどオートレースでは『優勝戦』ですね」

女性の心理、並びに自分の置かれている現実。それらを考慮した場合、論理的な内容で女性心理を習得している者「以外」の男がやる事なす事は殆ど無意味。
男の脳味噌。それで考える。「自分が女だったら」とする様な「女の脳味噌化」をまるで考慮しない。「男と女は全く異なる生き物」「脳が違う。脳が」。

現代社会は「性別」ではなく「脳別(のうべつ)」。それを考慮しない伊勢崎のボンクラスタッフ。「インフォマーシャルの有用性を確認しない」ボンクラスタッフ。

劣悪な情報1:鉄は熱い内に打て。情報を「すぐに」提供する事をしない。伊勢崎オートの公式サイトで紹介され様なコーナーを設けた上で、訪れたその日の内に
「こう言う事をやりました!」とする様な情報を「すぐに」提供した方がいい。迅速な情報が顧客の充足感を生む。にも関わらずそれがない。そう言った「時間軸」。

劣悪な情報2:解像度。最近の携帯電話やスマートフォンはXGAを一回り小さくさせた様な高解像度。それがデフォルト。にも関わらず画像がQVGA程度の解像度。
そんな解像度で大丈夫か?「大丈夫だ、問題ない」。そんな事言ってたらやられるぞ?「4:3の比率で800x600px」。それぐらいの解像度が必要。「機械の現状」。

劣悪な情報3:「誰に」提供しているのかの定義が不明。ファン?「ファンの数は少ない。オートレースは公営ギャンブルで最もマイナー。東京、神奈川、大阪、愛知」。
日本の47都道府県の中での人口過密地域。「その4つ」の都府県全てにオートレース場は「無い」と言う現実。ファンに向けて「だけ」では縮小再生産。終わる。
オートレースを「全く知らない人」にむしろアピールするぐらいの方が重要。「ファンなら知ってるから説明を省く」様な「必要な情報を削ぐ」と言う「骨密度不足」。

劣悪の他人1:翌日以降に情報提供。 劣悪の他人2:低解像度、わざと臭い構図の写真で情報提供。 劣悪の他人3:「誰に向けて」が明確ではない。

「何故」ボンクラなのか。コンフリクトをわざと起こしての証明。 コンフリクト(Conflict):競合、衝突、対立、葛藤、緊張などの意味を持つ英単語。

…だからな。自分らがバカボケカス状態の戯れ言を吐いている事にも「気付かずに」戯れ言を吐いてそれで良く「仕事した」って言い切れるな。凡人が。
…このあとで、オートレースは否が応にも世間からの審判を受ける事になる。その時になって慌てた所で「もう遅い」からな。それを見過ごすのは俺のプライドが許さない。

有用な概念1:人の為に?無理。本気になれない。「自分の為に」行動をする。その「結果」人の為「にも」なりました。その程がアグレッシブ的な意味では丁度いい。
有用な概念2:比較。相対化。「浜松オートではレースヴィーナスKANAがトークショーで壇上に上がっているのに伊勢崎オートではそれがない」とする様な「比較行為」。
有用な概念3:メンタリティ。その実情がどこにあり、どうすれば本当の意味でメンタリティの向上や安定化が狙えるのか。とする「感情さえも理論として取り込む超理論」。

…このあとで、オートレースは否が応にも世間からの審判を受ける事になる。その時になって慌てた所で「もう遅い」からな。

俺は先んじて劣悪を指摘する。人間のメンタリティの基本はネガティブでパッシブ。「やな事」の方が目立ちやすいんだから「長所を伸ばす」なんかよりも
「短所を塞ぐ」方が秀でる。人間の時間は限られている。人間の時間は有限。優先順位を付けて物事に取り組むのは定石。「そこを指摘しない」とするのは単なる愚。

先が読めない者と言うのは愚かだな。その事に気付かず視野の狭い愚行を上記の様にして犯すしか脳のない連中が服を着て歩いている事への失笑を指摘する出色。

2011年05月31日(火)12時44分25秒