今日から伊勢崎開催か。あぁ、如何にスタッフがボンクラでしかないか。その証明は「比較」と言う形で既に行っている。
日本人は精神レベルが幼稚なので論理的な話をテーブルの上に乗せた上での比較行為をやろうと申し出た所で「こわっぱが!」とするこわっぱ展開で全てを壊す。
だから俺は「ネオ日本人」と呼称して自らのステージは別にあるとする概念を割と強めに提出する事でのまた別の意味での「対比」を行っているんだがな。
1:他人を論破する為だけにその場で出まかせのでっち上げた内容をぶちまける。その内容はあまりにも空虚。「論破出来ればいい」とする幼稚性。
・1人の相手だけじゃなくてみんなの相手をしなきゃいけないんですよ〜 → そう言うスケジュールは一切組んでないよな。「関係者の為に動く」だけの時間割。
(それ以外にも「みんなの相手を出来るだけのスキルがその女にはない」、「知らない人といきなり相手して下さいなんて言うのはメンタリティ上無理難題」など
数々の理論で以ていとも簡単に論破出来る様な内容でしかない低俗なセリフを吐いてその場をやり過ごそうとする頭の無いカス染みた群馬テレビの元関係者)
2:出してきた物を対比する事で分かる優位性。劣等種。(今回の場合には「出してきた写真の質」で図る事とする。ボンクラスタッフの情報の質が低いと言う証明)
・コンデジの高感度。「取材で暗いロッカー室をコンデジで撮影するから画質が脂ぎった塗り絵状態となって画質が落ちる。こんな低画質でファンが満足すると思うか?」
・適正露出の有無。「コンデジが周囲の光量に惑わされて人物の顔が露出アンダー過ぎて暗い。犯罪者か?この女。そんな目茶苦茶な露出で平気なボンクラスタッフ」
・表情やポーズの差異。「自然で柔和な顔つき」の方が美しいに決まってる。「こう言う格好でお願いしまーす」と「命令」する事の愚。不自然極まりない傀儡と化した女。
それぞれ上記3点の違いによって「ボンクラスタッフが出してきた写真はゴミカスクズのボケナス写真でしかなく掲載する価値無しとぶった切って終わる物」と定義可能。
1の内容は既にご紹介した通り。2の内容は「伊勢崎で取材してきました☆」として自分のブログにアップした内容で以て確認が可能なので今回提示する展開とする。
「1人の相手だけじゃなくてみんなの相手をしなきゃいけないんですよ〜」…へぇ。だったら伊勢崎以外の連中も相手にしないといけなくなるよな。
山陽や飯塚と言った伊勢崎から千キロ近く離れている様な所のオートレース場に普段から通っている連中からしてみればなかなか伊勢崎なんて行ける様な
距離ではないからそうした連中をも相手にする必要がお前の定義の中では存在可能な状態となっているよな。そうした遠方の客からしてみれば写真や動画でしか
相手をする事が基本出来ない訳なんだからそうした客の事を思えば自然で柔和で美しく、屋内に対しては高感度に強いカメラを使うなり絞りを開放F2近くまで
開けて撮影するなりとした手段を使わう事で「伊勢崎以外のオートレースファン(山陽や飯塚など)」と言う「みんな」も相手にする事が出来るよな。…やってるか?
やってねぇし。コンデジ(笑)なんかで撮ったピントも合っていないデブの額の様に脂ぎった画質で相手してるってお前らどんだけふざけた事抜かしてんだよ。
1と2の展開で以て「スタッフはボンクラ。客の事を全く考えていない。日本人の衆愚が良くやる対人コンプを丸出しにして自分の脳内で客と言う名の偶像を作り上げて
客はこう言う事をすればよろこぶ『だろう』、とするだろう感覚を是として動くしか無い、頭をどこかに落としてきたのか頭が『無い』として結論付ける」となる。
…ここまで論理的に証明した所で所詮日本人の大衆と言うのは論理で以て話を作り上げると言う事が出来ずに感情論だけに終始する他ないので
「このこわっぱが!」とする様な「こわっぱ概念」で以て議論を途中で打ち切ると言うのが良くある話なので、あくまでも「俺の方に優位性ではダントツでありますね☆
とする証明」さえ出来ればそれでいいのでそれさえ出来れば俺の脳トレ的には目的達成と言う概念が割と強いのではぁよかったのぉよかったのぉ。で話が終わる。