「1:余計な事ばかりする」、「2:肝心な事をしない」。ボンクラと評価する理由。その2つの理由を以て「伊勢崎オートのスタッフはボンクラで使えないバカ」と結論付ける。
その結論を証明する為にコンフリクトをあえて発生させ、「比べる」事が可能な形で以てテーブルの上に資料を並べる事に成功した。結論? 「俺の言った通り」。 だけ。
1:余計な事ばかりする
1−1:イメージガールの写真を撮影する際にポーズをさせる行為。下手な写真を撮る行為。(俺はそれを「不自然な写真は不快感を与えるだけ」として断罪している)
1−2:どうでもいい知識ばかりを与える(俺はそれを「逆に迷わせるだけ」と断罪している)
2:肝心な事をしない
2−1:使い物になる知識を与えない(俺はそれを「躓きやすい所に気をつける事を是とするべき現実上の有用な展開とは正反対」として断罪している)
2−2:客の意見を聞かない(俺はそれを「客の意識はこうだろう」とするしみったれた『だろう根性』を無駄に増大させるだけの典型的な愚行として断罪している)
日本人の大衆は感情論だけでしか物事を語れない。自分が不利になると思うや否や「このこわっぱが!」とする様なこわっぱ展開を用いてそれまでの流れを潰す。
伊勢崎オートのボンクラスタッフも例外なく「そう」でした。…いや、実に頭の使い勝手が悪いと言うか、最初から脳味噌がないんじゃないかと言う様なダメな連中だと。
こんな連中に無駄な金をやる意味も理由も価値もない。基本「中長期的に見た場合、オートレースなんて廃止した方がいい」としか思えなくなる様な「有害連中」だな。
どうでもいいけど一瞬「有害連中」が「有吉辰也」に見えて驚いた。最初の「有」しかあってねぇじゃねぇか!とか思った。…さて以下具体的な「比較の例」。
1−1−1:ポーズをさせる。そう言う不自然さと言うのは案外客が見てる。そして心の中で「何やってんだあいつら」とせせら笑っている。その行為を客に見せる事は
マイナスにはなってもプラスにはならない。そう言ったポーズと言うのは仲間内、場所限定、人物限定、としないと取れないと言うのが対人コンプを患っている
典型的な日本人のメンタリティに潜んでいる闇の一部。「自然な雰囲気」である事が撮影される側も安堵し、写真を見る側も違和感を感じない。とする事への無理解。
1−1−2:下手な写真。具体的には「露光」。伊勢崎オートのボンクラスタッフは背景も人物も〜と思い込んで両方を入れた訳だが背景の青空に露光が引っ張られて
人物の顔が露光アンダーになってしまっている。この場合は日中シンクロを採用するか、それとも青空を露光オーバーにして人物の露光を適正にするのが通常。
その「どちらも」やらないボンクラスタッフでしかないので、人物の顔が露光アンダーとなってしまい「まるで犯罪者の様なドス黒い顔」となってしまって不適切。
1−1−3:下手な写真。その他の1つ目は「ピント」。伊勢崎オートのボンクラスタッフはコンデジしか使えない様なカメラ知識無し夫ちゃんなのでピントが合ってない。
合ってる様に見えて実は合ってない。所詮はコントラストAFなどと言う「未熟な技術」を使えばそうなる事は自明の理。だから顔とか姿とか微妙にぼやけてしまっている。
1−1−4:下手な写真。その他の2つ目は「高感度」。例えば暗いロッカー室をコンデジで撮影なんてやったらレンズが暗いんだから感度が高くなるのは当たり前。
コンデジが高感度に対応出来る訳がない。従って「油絵」の様な写真が出来上がり、細かいディテールなんて全く伝わらない様な「油ギッシュ!」なそれになる。
……で、俺は高画質に整えた写真を撮影したあとで、そのデータを渡して「使えると思ったら使って下さいませませ」と言う風に手筈を行った。
1−2−1:女が暇げにしている時に「今度は飯塚でダイヤモンドレースが行われるんだよ」とか言われた所でそもそもどうして開催日程が各地バラバラなのか
開催の種類の違いは何を表すのか、と言った所を素人は普通分かってない。そうやって「他の開催」の話題はしないでまずは今のこの開催に集中させるべき。
(と言うか、素人が突っ立ってる状態で余裕なんて有る訳ないんだからあちこちの開催に話題を散らした時点でその話題は殆ど頭に入って来ない)
2−1−1:CS出演した時に、優勝戦の事を「決勝戦」と口にした。その映像をたまたま俺が見る事が出来ていた訳で、最終日の最終レースに組まれているのは
決勝戦ではなく優勝戦って言うんですよ〜。と通達した。すると顔が瞬間青ざめて「えっ」となり、そのあと過去に書いたブログの内容で「決勝」もしくは「決勝戦」と
書いてあった所を「優勝戦」と書き直したりして改竄した。こうやって「その動き」を見ていれば指摘出来る様な事をボンクラスタッフは「指摘しなかった」と言う愚行。
2−1−2:レースだけではなく「その周辺にある美味しい食べ物屋さん」など、伊勢崎市全体を楽しめる様にする、とした方が楽しめる事が増えるのは当たり前。
関係者の愚行として「オートレースを楽しむ」と言う風に、何故かオートレースと限定してしまっている視野の狭さがある。「オートレース『も』楽しむ」とした方が無難。
バイクレースなんて例えば彼氏彼女と行って彼女が「回ってるだけじゃーん、暇ー、つまんなーい、回転寿司ぃ?コレぇ?」とグチる姿も容易に想像する事が出来る。
そう言う時に「伊勢崎の旨いモン」を1つ2つ知っていれば「じゃあそこ行こうよー」とか言って彼女が機嫌を直してくれる可能性も出てくる。色気より食い気。
……で、俺は先述した通り「決勝戦って書いてましたけどオートレースの場合は『優勝戦』って言いますよ〜、とこっそりそのイメージガールの女に指摘を行い、
伊勢崎の旨いモンとして「ブログとかで紹介されたとしてもそれなりに客の増大には対応出来るだろうお店」と言う事も考えて「鳥めしって知ってますか〜?」として
伊勢崎オートの近くにある登利平伊勢崎店(伊勢崎市太田町)を軽く紹介しておく事で伊勢崎の旨いモン(ブログに掲載したら反響されやすい店)を通達しておいた。
こうやって「比較」「並べる」「比べる」事で、どちらが有用か、とする概念を推し量る事がようやく可能になる訳で、日本人と言うのは絶対評価に慣れすぎていて
相対評価と言う概念を何故か悪だと思い込んでしまうから有用で分かりやすい手段を自ら放棄する様な愚行を選択しやすい羽目になる。だから「衆愚」になる。
以上の上記の展開を、全体をまずは提示した上でその内容の部分部分を指し示しながら「これはこうで」と説明しようとしても「感情(笑)」で拒否をするバカども。
あぁ、今後?「ボンクラスタッフが自らの性欲に任せて金出して雇ってんの俺らだぞォ!?」と言う様な悪しき上意下達を拠り所としての「お抱え精神」を採用して
理論ではなく感情(笑)を前面に出していく事は火を見るよりも明らかなので「じゃ金使わないって事で裏へと回って攻撃を仕掛けていきますわ。サイレントボム」。
とする。それがベターだからな。以上。