[ 群馬の小暮投手は○○○が好きらしい ] 今日(昨日)の伊勢崎は伊勢崎オートスペシャルマッチだったけど、ペガサスファンブロガーはその事はスルーしてる…
「ペガサス知らない、オート知らない」、「ペガサス知ってる、オート知らない」、「ペガサス知らない、オート知ってる」、「ペガサス知ってる、オート知ってる」。
人間のパターンは主にこの4種類。1つ目の連中はまず関わらないので除外。4つ目の連中は説明が比較的不要なので除外。考えるべきは2つ目と3つ目の連中。
「どこに知識があってどこに知識が無いのか。どこの知識を補完すれば話がスムーズか」。その概念を頭の中で回しながら知識の薄い所に的確な知識を補充する。
それが「相手に興味を持って貰えるコツ」の第1歩。こうした理論をバカは持っていない。
だからペガサスファンはオートへの知識欲が満たされない。だからスルーされる。「どこに知識があってどこに知識が無いのか」それを考えない。だからバカ。
「スタッフは知ってる」「オート知らない人は知らない」 「伊勢崎オートは入場無料です」と言う差異も 「自分の知ってる事をどうして教えなければならないんだ?」
としてバカは愚行を犯す。真に有用なオートへの知識を提示しない。そうした愚行を受けて「オートへの知識欲が満たされない」ので今回の話は誰も得をしない。
2011年06月15日(水)Means Drive Flight. (+16:47)
「1:余計な事ばかりする」、「2:肝心な事をしない」。ボンクラと評価する理由。その2つの理由を以て「伊勢崎オートのスタッフはボンクラで使えないバカ」と結論付ける。
その結論を証明する為にコンフリクトをあえて発生させ、「比べる」事が可能な形で以てテーブルの上に資料を並べる事に成功した。結論? 「俺の言った通り」。 だけ。
1:余計な事ばかりする
1−1:イメージガールの写真を撮影する際にポーズをさせる行為。下手な写真を撮る行為。(俺はそれを「不自然な写真は不快感を与えるだけ」として断罪している)
1−2:どうでもいい知識ばかりを与える(俺はそれを「逆に迷わせるだけ」と断罪している)
2:肝心な事をしない
2−1:使い物になる知識を与えない(俺はそれを「躓きやすい所に気をつける事を是とするべき現実上の有用な展開とは正反対」として断罪している)
2−2:客の意見を聞かない(俺はそれを「客の意識はこうだろう」とするしみったれた『だろう根性』を無駄に増大させるだけの典型的な愚行として断罪している)
日本人の大衆は感情論だけでしか物事を語れない。自分が不利になると思うや否や「このこわっぱが!」とする様なこわっぱ展開を用いてそれまでの流れを潰す。
伊勢崎オートのボンクラスタッフも例外なく「そう」でした。…いや、実に頭の使い勝手が悪いと言うか、最初から脳味噌がないんじゃないかと言う様なダメな連中だと。
こんな連中に無駄な金をやる意味も理由も価値もない。基本「中長期的に見た場合、オートレースなんて廃止した方がいい」としか思えなくなる様な「有害連中」だな。
…と書いてある通り。
1:世間体ではギャンブル=悪と言う認識。収益の一部は社会に還元しています、と言う概念を「オート知らない」連中は全く以て「知らない」訳で。そこに切り込めと。
2:どんな風に優勝者が決まってどんな風に賭ければ面白くまた女性子供にも楽しめる施設があるのかないのかとした「マインド」は持っていない。そこに切り込めと。
3:関係者脳と言うのは3次元の女を箱入り娘の様にして扱う愚者。むしろ積極的に客の方へと向かわせるぐらいが丁度いい。「自らを過大評価するな」。
人間は、自分で自分の事を評価した際の数字を100とすると、他人が自分の事を評価した場合の数字は30となり、「100」と「30」と言う意識のズレが生まれる。
鬱病患者に似た様な事をやらせると、自分で自分の事を評価した際の数字が30となり、他人が自分の事を評価した場合の数字は30になりズレが小さくなる。
30と言うのは「大体3割」と言う皮膚感覚による平均値として仮定の数値を当てはめている。理由?「その違いを医化学的に検証した奴が居ない」から。
そうした人間の根っこで以て「ボンクラスタッフどもは『これできちんとファンサービスをやっている』と言う意識を持ってしまう」のと比較して、実際問題
客から見れば「全然出来てねぇよカス」と言う体たらくになってしまう。と言うズレが生じる。それを論理的に語っても「こわっぱが」でひっくり返すと言うのが愚者。
愚者が宣伝する「伊勢崎オート(笑)スペシャルマッチ」には何の価値もない。ズレを認識出来ない奴はオワコン。オワコンスタッフが服着て歩いてるよ?愚者が。