2011年07月02日(土)最悪だな。

「開催競馬場・今日の出来事」が更新されている訳で。見たくもない漢字が踊っている。

この事に関して各方面での例えば掲示板やらなんやらでは意見が飛び交っている様な様相が見えている。だがしかしその殆どが本質を突いていない。
障害レースを廃止する廃止しない、距離を短くする短くしない。それらの意見は手向けにはならない。人間の攻める順番はトップではなくボトム。

メジャーリーグでは先攻の事をトップと言い後攻の事をボトムと言う。人間は「出来事が起きてから」しかその出来事を論じる事が出来ないんだよ。

そこを弁える。つまり「障害レースがあっても距離が長くても無事に完走してさえ居れば廃止する廃止しない、距離を短くする短くしないと言う議論はまず発生しない」。

人間の攻める順番はボトム。出来事が発生してから「では」どうするか。その単位でしか論じられない。そこをはき違えている大衆のなんと愚かな事か。

俺の意見?たった1つ。この出来事は人間界の例えばビジネスに際しての力の使い方や人間関係を構築する際の方法論として適宜変換を行った上で利用する。
そうやって変換を遂げるきっかけとして利用する事で手向けへと変える。ただそれだけ。

例えば力の使い方。人間はどうしても最初から意気込んでしまう所がある。力の配分を後半出力に変える事の是。但し力を抑えると言う言い方は感心しない。
力を「後半に」使い切る。とした配分の関係で現実世界ではどの様な配分が有用かとした展開による今回の事例を使っての変換。

…体力を使い果たしたから最後の障害が飛べなかった。体力が残っていればおそらくは飛べていただろうな。

例えばそう言う様な印象で以て。但し動物学的な面で言うと馬は元々臆病な動物で自分の影にも驚く様な生き物でそうした生き物は他の種族から身を守る為には
逃げると言う手段を多く採用する事が殆どなのでそこははき違えない様にする必要がある。それを理解した上で「人間界では」とした前提で採用する事になっている。

…自分の馬の余力を把握出来ていたら手綱を引いて無理には飛ばせないと言う選択肢もあったかもな(八百長だとか言われるだろうけど)

例えばそう言う様な印象で以て。如何に視野を広く日々疑問系を抱きながらの「本当にこれでいいのか?」とする方法論の改修改善を是とした単位での行動を成すか。
視野が狭くなると対人に際して非常に傲慢な印象へと変貌してしまう。とにもかくにも「周りを見る事」それすなわち「自分をもう1人の自分が見てる」様な意識の事。

それを「常」とする事。如何にしてつまらないコンセンサスからの脱却を図り真に有用な展開を比べる事と疑問を抱き続ける事で以て「視野を広げる」事が出来るか。

この2つ。これらを今後の人間界での糧とする。そうやってある程度人間界でのコンセンサスをより知識の方向へと持っていく事。それがボトムより始まる事への手向け。

2011年07月02日(土)22時01分19秒