講談社ラノベチャレンジカップのお知らせ → チャレンジカップっていうとやっぱり朝日チャレンジカップを思い出す。あそこ勝つと秋冬戦線で一気に上がり馬になる
不思議なレース。タップダンスシチーは忘れられない(杉井光)
twitterにて書き込み。最近は「サイトもブログも持っているのにそれを放置してtwitter」と言う奴が目立つ。それならサイトもブログも閉鎖しろ。全てtwitterに1本化しろ。
1:情報が分散されると閲覧するのに余計な手間が掛かる。 2:放置されているサイトやブログを見るのは切なくなる。 3:「誰の」発言なのか分かりにくくなる。
1:サイトを見てブログを見てtwitterを見て〜、とやると余計なステップを踏まなければならなくなってしまう。「1ヶ所で、どこが更新されたのかすぐに分かる」方が有用。
2:放置されているブログ。最終更新日が「去年の10月」でtwitterの方では仲間とだけ楽しくわいわいとやっている。…そんなに「仲間」だけが大切か?蛆虫どもが。
3:サイトデザインが背面画像程度しか変更する様な余地しかなく、誰の発言なのかが分かりにくい。「CSSやサイトデザインも含めて」誰の発言なのかは認識される。
1と2と3の展開において情報を提供すると言う行為に実は余計な手筈を踏んでいるだけでしかないtwitter経由での情報のやり取りであると言う事が良く分かる。
俺のやり方は98パーセント他人にはそぐわない。他人のやり方は98パーセント俺にはそぐわない。 何故なら俺はマイノリティだから。ただそれだけ。
1:どの様にしたら情報が自分以外の第三者にも分かる様になるのか。
「日記を羅列で書いても分かりにくい。位置情報を時間軸で以て提供し、画像も時間軸で以て提供し、時間軸の流れに沿ってどう移動したのかを見せた方がいい」。
「日記を単体で書いていく場合には過去の日記をきちんと参照可能な状態として提供する。歴史が人の有用無用を証明する。如何にして歴史を組み込んだ形にするか」。
「日記を単体で書いていく場合には過去はこうで今がこうで近未来はこうなると判断しています何故なら歴史を振り返るとこれこれこうだからですと見せる形にする」。
こうしたマインドがtwitterのサイトデザインからは全く見つける事が出来ない。専用アプリ?専用ソフト?「そんな物をいちいち入れて使い慣れなければならない事」が
実は非常にハードルの高い行為である件について。「デバイス不問。基本パソコンからでも携帯電話からでもスマートフォンからでも上記の念頭を意識したデザインで」。
2:どの様にしたら情報の提供が簡潔に出来てなおかつ情報の質を落とさずに済むのか。
「携帯電話からの投稿は如何にも携帯からの臭いしかしてこない事が殆ど。画質の悪い写真。アホみたく短い文章。そうしたプアさをどうやって排除していくのか」。
「携帯電話からの投稿は如何にも携帯からの臭いしかしてこない事が殆ど。画質の悪い写真。アホみたく短い文章。そうしたプアさをどうやって感じさせないのか」。
こうしたマインドで以て更新するデバイスを選定している連中があまりにも少ない。
…「過去」、「現在」、「未来」。重要な順番はこの順番。それら3つの時間軸を流れる様にスムーズに表示、更新、共有可能なシステムを作る事。それが俺のプライド。