最近はtwitterが使われてるな。twitterばっかり使う奴らは情報弱者。俺はそう認識している。
「誰が」書いたと言う展開ばかりが優遇され、その情報の「中身」にまで精査が行き届くと言う事がない。「誰が」の対象が仮に死んだとしても
「中身」さえ充実していればその後参照される事があった場合には書いた情報がのちのちまでに有用な物を持つ事になってくる。
…さいきんになってえむえむっ!の作者が亡くなられた訳だが情報の中身に価値があるのではなく「誰が」書いたかに重点を置かれてしまっている。
コミュニケーションツールと言うのであれば仕方がない面もあるが情報を何故提供するのかとすれば「中身」を見て有用かどうかの所に少なくとも俺は重点を置いている。
コミュニケーションツールと言うのであれば完全に非公開でやれ。みっともない所他人に見せて一体何が楽しいんだか。お前が視野狭窄になるだけで俺には関係ない。
どうもな。「会話する」事をあまりにも優先し、きちんとじっくりと自分で考えて物事を成すと言う事を成さない「インスタント」の様な印象を受ける。
…携帯電話のカメラで撮った薄汚い画像を掲載し、スマートフォンで投稿した短文の内容を掲載し、それで「情報公開」としている連中のなんと愚かな事か。
「何を」語り、「何故」語り、「どの様にして語れば美しいのか」を念頭に置き、情報をどこまで知っておりどこから先を知らないか、とした知ってる知らないの異なる区分を
対象が第三者に及んだとしても(第三者がその展開内容を見たとしても)どこに欠損がありどこに補完が成されれば良いのか、と言った展開を第三者にも見える様にする。
1:情報のジャンルによりコーナーを細分化。この内容はここに提供するべき、としたジャンル訳によって情報の行く先を整理する。
2:情報のジャンルを分けた上で時間軸により更なる細分化。過去を見て、現在がどの調子で、近未来をどう予測しているのか。そうした時間の流れこそ見せるべき物。
3:「日記」に限っては情報が雑多になってしまうので「検索」で以てジャンルに沿った単語を入力する事でジャンルの区分けを「見る側が」行える様にしておく事が有用。
4:情報の質の向上。平易な言葉、画質のいい写真、どこで何時撮ったのか分かりやすく説明するとした見せ方の工夫。そうした事による情報の質の向上は必須行為。
1から4までの概念を最近になってネットで情報発信をする様になってきた連中はまるで所有していないが故に単なる時間軸、単なる自分の身の回りで起きた出来事。
「自分の周り」で話が完結している状態で以て情報を公開してしまう。「どこがどう違っているのか。情報を『比べる』と言う行為」。それを「しない」奴はこうも愚かなのか。
…例えば21日の関東地方では気温が上がらずに26度で推移した様な状態だったが場所が替わって浜松では34度を記録した。「比べる」事で世界が見える。
こうした一例で以て「情報は『比べる事で』有用になる」。「情報は『何を』比べるのか。その意図をハッキリさせておかないと意味がない」と言う近未来の展開も見える。
全国の気温の分布を見る事で気象状況が分かる。やはり「日本は広いな」と言う事が良く分かる。例えばそうした「地域性」を見る事によって対応する事が可能となる。
…例えば最近のアニメの公式サイトがtwitterで発信する様な情報と言うのは殆ど全て東京が基準となっており地方の事なんておかまいなしと言った地方軽視が
しょっちゅう存在している件について。「地域性」を無視すると、色々と片手落ちの情報が是となってしまって話にならない。情報の「欠損」が発生する。
「××(東京の地名)で何々やります」「…それどこ?(地方民)」…例えばこう言う風に。これが「情報の片手落ち、発信の欠損。比較しない事で発生する」その一例。
1:情報の価値の重きが「誰が」に置かれてしまっている愚行。それよりもまずは「どんな情報」の方に注目するべきなのにそれをしない。
2:情報の発信の場所が「特定の場所」に集中してしまっておりそれを上意下達として金科玉条の如く受け取る事しかしない。
1と2の行動を平気で成してしまっている奴ら。俺はこうした奴らを「情報弱者」と定義する。「受け取る情報の質が低い」「情報の発信の仕方がプア」。
こうした連中を俺は情報弱者と定義する。世間の情報弱者の定義とは「情報を仕入れる事が出来ない奴ら」とする「行動」が単位となっており「質」は単位としていない。
俺は「質」を単位としている。「受け取る質」「発信する質」。どちらのパターンも最近は特に「質が悪すぎる」が故に「話にならない」と切り捨てる。
そう言った「インスタントな情報発信」は衆愚をより衆愚化させてしまうだけとして「発信する側」にも責任があるとしてそうした法人や有名人を切り捨てる。