[ 「日本沈没」SF作家・小松左京さん死去 80歳 ] 「日本アパッチ族」「日本沈没」などの作品で知られ、文明評論家としても評価されたSF作家の小松左京
(こまつ・さきょう、本名・実=みのる)さんが26日午後4時36分、肺炎のため死去した。80歳だった。大阪市出身。告別式は親族で済ませた。京都大学文学部
イタリア文学科在学中から作家の高橋和巳らと交流し、文学活動に参加。卒業後は業界紙記者、土木工事の現場監督、漫才の台本作家などさまざまな職業を
経験した。昭和36年に『地には平和を』で「SF マガジン」の第1回コンテストで努力賞。SF作家としてデビューした。空襲で焼け野原となった大阪城周辺の廃虚を
舞台に、鉄を食料にする一族を描いた「日本アパッチ族」(昭和39年)のほか、「復活の日」(同)「果しなき流れの果に」(41年)など、人類と現代文明の未来を探る
構想豊かな作品を次々と発表。日本でのSF小説を開拓する草分け的存在となった。地殻変動で日本列島が水没し、日本民族は国土を失うという設定の「日本沈没」
(48年)は広範な知識に裏づけられた巧みな空想力が話題を呼び、400万部の大ベストセラーに。日本推理作家協会賞を受賞したのをはじめ映画、テレビ・ラジオ
ドラマ、劇画にもなった。また60年には「首都消失」で日本SF大賞を受賞した。文明評論家としても知られ、45年には国際SFシンポジウムを主宰。平成2年、
大阪市で開催された「国際花と緑の博覧会」の総合プロデューサーをつとめたほか、昭和59年公開の映画「さよならジュピター」では脚本・製作・総監督を
こなすなど多彩な行動力が持ち味だった。(ブサヨ産経 2011.7.28 15:59)
さようならと 泣かないで 最后(いま)は ほほえみを いつかまた めぐり逢える 太陽(ひかり)と 風のように
他人(ひと)は みな遠ざかり 希望(ゆめ)は 褪せようと 花は咲く 春がくれば 地の果て 続くかぎり
あおい海の 彼方の 静かな 岩かげ ひとつぶの 真珠になり 想い出 遠くねむる
眼を閉じれば いつでも 側にいる あなた あの星と 同じように またたく 愛のひかり あの星と 同じように 消えない 愛のひかり