[ 「ぐんまちゃん家」が赤字4億円 ] 群馬県が税金投入し東京・銀座に開設しているアンテナショップ「ぐんまちゃん家」で大赤字が続き、存亡の危機にひんしている。
…ブサヨ産経のこの記事は、明らかに問題事項を複雑怪奇な物へと仕立て上げてしまっているな。正直「失格」。…こんな記事に「金を出す」必要はない。
…セグメント。「経営が上手く行かない理由」を「地域」によってのセグメント化を果たし「ニーズ」の差異と「世代」の差異によって振り分ける。それが賢い。
1:都民に群馬へのニーズは無い。都民は「都会最高!田舎だっせぇ!」とする意識が圧倒的な多数派。「都民から金を貰う」ことそれそのものが無理ゲー。
2:銀座に店を出す、と言う方法そのものが「おのぼりさん」。すなわち「如何にもジジイババア世代独自の古ぼけた発想でしかないですね」とした方法論の不備。
1で以て「ニーズを理解していない」 2で以て「場所が不味い」 とそれぞれ切り分ける。
俺が責任者だったら速攻で閉店する。理由?「現代社会は地元から吸い上げた税金を地元に還元する事だけを考えていればいい。そうして還元された内容が
例えば病院や福祉や学校や鉄道網の利便性の向上など『実のある事』へと向かっていけば自然と県民人口はある程度増えていく。極左マスゴミは邪魔だけどな」。
だから。そもそも「上意下達を経由しての広告宣伝」と言うやり方そのものが20世紀の遺物で21世紀に持ってくるべき展開ではないと言う。
現代社会は「世代間別の時間無制限による情報戦争の真っ只中」。つまり「世代が違えばまるで全く分かり合えない完全断絶展開」。とするのが「この世の現実」。
つまり「こうしたおのぼりさん感覚」と言うのは世代の違いによってメリットと判断するかデメリットと判断するかが異なってくるので幾ら世代の違う連中に言っても無駄。
無駄と分かっててどうして書くのかと言えば「世代間戦争の真っ只中」と最小限説明する事によって事象を正確に掴んでいればそうした脳を活用化させる面もある。
それだけ。昔日本では「新人類」と言う言葉で若者を表現していた事がある訳だがそんなのは比べ物にならないぐらいに「今の若者は新人類」となっている。
「今の若者は新人類」それでいてなおかつ「今の年寄りは北京原人」。とでも書いておいた方がいいぐらいに思考や行動や善悪の判別のそれらが異なっている。
バカな経営。バカな物の見方。バカな判断。そうした「バカ」の2文字で表現が完了される様な事をやるのが現代社会の団塊もしくは団塊ジュニア。
どうしてこいつらはこうもバカなのか。答えは簡単。「比べる事が出来ない」から。良く「テレビを見るとバカになる」と言われているがこれは正確ではない。
「テレビと言うツールが悪いのではなく、テレビと言うツール単一から情報を獲得する行為しかして来なかった、すなわち『テレビ以外』がなかった」からバカになる。
ただそれだけの事。団塊もしくは団塊ジュニアと言う下卑た生き物は「比べる」事が出来ない、と言うのが悲劇の発生源。
テレビから言われたら妄信する。「テレビ以外」を注目しないから。きちんと「比べる」事が出来ていない。ネットを中心に使う若年層と言うのは割と比べる事をする。
何故か。「テレビと言う単一的展開をダサいと決めつけ割とあちこちフラフラっとする事を是として見ている風潮があるが故」。となる。…つまり世代が違う事。
現代社会の団塊もしくは団塊ジュニアと言う世代はいわば「単一系北京原人的オールド思考連中沙汰行為」によって「自滅」しているだけの事。
きちんと「比べる」事の出来ない連中沙汰の末路。そうした悲劇が上記の一例。そうした悲劇の有無の差異こそが「世代間戦争」の存在をある物とする説明事由。