2011年08月31日(水)suite connect of a phonic.

スマートフォンを買うか買わないか、と言った二元論に興味はない。「スマートフォンと言う物の存在をどう利用するのか」。俺の着眼点はそこにしかない。

1:外出先でネットをしたり音楽を聞いたりする行為に必要なポータブルデバイスに対する国民のパラダイムシフト。それが存在していると言う事に着眼点を向ける。
(つまり、そうした機械の進化の方向性によって成すべき商売の展開も代わり、顧客に対してスマートフォンとの優れた提携性質のプレゼンが金儲けへと繋がる)

2:Geckoを見え方の基準としていたがスマートフォンの内蔵ブラウザを使う連中によって形勢される「WebKit」派でどう見えるのか。レンダリング性質の違いの比較。
(内蔵ブラウザなんてクソ!って話があるのは知ってる。だが世の中のスマートフォン利用者の半数以上はデフォルトの内蔵ブラウザを使っているだろうと言うのが
俺の皮膚感覚。ポータルサイトにスマートフォン経由でアクセスしてきた際のアクセスログを見てそのuseragentが何を吐いているのか、と言った具体的なデータを
例えばGoogle日本やYahooジャパン辺りがデータとして無料で提示してくれれば判断もより正確な物になるんだがそうしたデータがないのであくまでも皮膚感覚。
皮膚感覚とお断りしておいた上で、パソコン時代のバンドルされたIEでのアクセスがシェアナンバーワンだったと言う事実を踏まえて大衆の行動を歴史で以て判断し
その傾向が続いた場合には内蔵ブラウザのシェアがナンバーワンとなるので、内蔵ブラウザで比較的まともに見えれば「これよりひどい状態は無い」と判断出来る。
学術を他人に教えるのに、バカに理解させる事が出来ればバカじゃない奴が理解する事は出来るだろう、と言った「基準を低めに設定する事」の有用性)

3:利便性はソフトウェアの出来に左右される。その事を再認識。日本の携帯はこれまでの携帯の互換性を重視し過ぎてソフトを新しく書き換えるのではなく
これまでのソフトに内容を追加するスパゲティコードを生成する事によって新しい携帯と偽って出してきた。互換性の偏重はビジネス上問題外。その事を再認識。
つまり「これまでのやり方では通用しない」時代が訪れた事を明確にし、それでもなおこれまでのやり方を踏襲しているバカどもは蔑んでも良い。その事を再確認。

最近良くある話としては、家電量販店の店員がやたらと「いらっしゃいませ」の「せー!」を大声で連呼する。それに何の意味がなるのか。客から見れば
その展開に全く意味はない。「うるせぇ黙れデブ」。これをこっちが声高に叫んで店員を涙目にさせてもいいんだが?となる。「涙目にさせる事に意味はない」がな。

結局そう言った店側の都合による客への恫喝が「客離れ」を生み、量販店では触って確認するだけ。買うのはネットもしくは別の店。と言う事になっていく。

逃がしてるんだよ。客を。それが日本の悪しきやり方をいつまでも踏襲し続けるパラダイムシフトの変化に対応出来ない愚者の末路。悲惨だな。あぁ、実に悲惨だな。

2011年08月31日(水)00時54分36秒