2011年09月10日(土)モーメント

[ 鉢呂氏、失言で辞表提出 ] 鉢呂吉雄経済産業相は10日夜、東京電力福島第1原発事故の周辺自治体を「死の町」と表現し、
記者団に「放射能をうつす」などと発言した問題を受けて、野田佳彦首相に辞表を提出した。(ブサヨ産経 2011.9.10 20:22)

「何が問題なのか」。…他人はその話を非常に混濁させた状態で以てあちこちに「分散されてしまった状態」で語ってしまっている。
実に「愚か」だな。…問題点を整理する事の重要性を説く為にも最小限の説明事項で以て反面教師とする以外の役目を果たさない極左を使っての展開を行う。

・何が問題なのか → 感情でしか表現出来ない頭の悪さ。 「極左」、「団塊」、「団塊ジュニア」、「3次のメスブタ」 これらに共通する特徴。
それは「感情だけでわめいて非常にみっともない稚拙な行動を平気で見せてしまう言う愚行」を遠慮なく発揮してしまう傍若無人を持っている事。

それが遺憾なく発揮されただけの事。「極左の傾向」を知っていれば「そう言う事を口にしたりそう言う行動に出たりするのは当然の事」と把握は可能。

・何が問題なのか → 情報弱者とNOT情報弱者との質の違いがあまりにも大きすぎてもはや話の合う合わないを通り越しての人間と非人間の違いとなる。
かつて若者が新人類と持て囃された時代も日本には存在していたがそんな事が霞んでしまうほどに現代社会は情報弱者とNOT情報弱者との違いが大きい。

コイツの様な極左が仕出かした事による問題事項の定義は「感情で喚いた様な幼稚なやり方でてんやわんやと他人に迷惑を掛けた事」。
コイツの様な極左を精査しない事による問題事項の定義は「情報の質に差異があり過ぎてもはや話が合わない個別的現実の差異がある事」。

前者は「論理的表現力の欠如に伴う問題点」。 後者は「お前そんな事もわかんないの?と思う展開が組織を作っての協力とする姿勢を奪う事への問題点」。

前者は「極左ってそんなもんだよ(笑)」で終了すればいいんだが、後者の方が根が深く、現代社会は「個別」と言う意識を最良とする非協力的社会の様相と
なってしまっており、それぞれがてんでバラバラに動いてしまうが為に団体を作って協力を行うと言う事がもはや「絶対に出来ない」と言い切ってもいいぐらいの勢いで
「個別社会」が進んでしまっている。と言う問題点を含んでいる。個人で出来る事ならそれでも無難だが、世の中には組織でないと出来ない事もある。

「組織でないと出来ない事」への対応が次々と遅延を起こしていく事。 むしろこちらの方が根が深い。「如何にして情報弱者を減らしていくか」。それが今後の課題。

…後者の方が問題事項としては根が深い訳だが他人は「前者」を問題にしたがる傾向が強いからな。「極左みたいな頭パーの連中の戯れ言に付き合うのかよ(笑)」
と貶した方が普通に賢い。「極左なんだから人でなし的な発言をするのは当たり前。そこに論理的結論が存在している訳もなく言いっぱなしでしかないんだよ」と。

・死の町 → 人間の生死とは若干異なり「復活させるのも人間」。とする選択肢が存在している。如何にして論理的な詳論で以て「輪廻転生」を果たすのか。
・死の町 → 何を以て「死」とするのか。その具体的な定義もなければ定義を証明するだけの資料もない。「言いっぱなし」。それが極左クオリティ。

前者はあんまり問題にならない。分かりやすい罵倒だからセンセーショナルに極左マスゴミが報道しちゃって「大きい問題」の様に誤解しているバカが多いだけ。

2011年09月10日(土)20時31分13秒