たかじんNOマネーの三橋出演の回を見た訳だが。…あぁ。基本的にはこの手の番組はつまらないままで終わる。何故ならテーブルトークだから。
それぞれがそれぞれ勝手に自分の言いたい事を言うだけに終始している展開だから。「日本人は議論の仕方をそもそも学習していない」からな。
俺が「日本人はディベートもディスカッションも出来ない赤ちゃん民族」と日本人を表現しているのはつまりはそう言う事なんで。「議論」のやり方が稚拙だから。
結局ゆるゆりのコマーシャルみたいにそれぞれがそれぞれ勝手な事を喋って終わる。ゆるゆりのコマーシャルみたいに「うるさい!」と結衣が言って
最終的には結衣が主導権を取るみたいな事もなくそれぞれが勝手な事をガタガタと抜かしてるなぁ〜みたいな展開で話の内容に整理が付かなくなって終わる。
まぁ「日本人の議論の稚拙さ、幼稚さ」を確認すると言う意味では必見の番組だわな。
それともう1つ。基本的にはテレビなんで時間が限られていると。「カットの嵐」。…つまりどう言う事かと言えばカットされた方に重要な事が隠されている可能性が
割と存在しているにも関わらずスタッフではない一般視聴者はそれを確認する術が基本的にはどこにも無い。つまりは「本当にこれで十分な内容なのか?」
となってしまう。「時間制限」、「発言内容制限」、「メンツ制限」。簡単に書けばそんな所か。そうした「どうしても存在してしまうタブー」がテレビには透けて見える。
ネットにはそう言うのが基本的には存在していないから。匿名である事でメンツ制限とする唯一の制限も撤廃されてしまう。「自由闊達」はテレビには「無い」。
最後にもう1つ。「必ず収録しなければならない」。つまりネットだと好きに議論が始まって好きに議論が終わる様な入退席自由の面がそこにはある。
テレビだと「相手の稚拙な論理を完全論破して相手を完全に負けさせてやった」とした場合、「居残っていればうわコイツ恥ずかしい〜」となって居たたまれなくなる。
「怒って退席した」場合、「うわぁ論破されてるよコイツ恥ずかしい〜」もしくは「うわぁなんか嫌な奴やなぁー」みたいな展開で以て居たたまれなくなる。
途中で退席された場合には場の雰囲気も暗くなったりしてその後の展開がどんよりとした映像になって結果的には視聴率も下がってしまう。そうした不自由感覚。
以上の3つの理由で以て「テレビ番組では意見の対立を丁重に整理する事は殆ど不可能」とした上で「この手の議論番組は顔を売ってナンボの行為」と変容する。
面白かった点?「たかじんがホノルルの話をした所」だな。理由?「比較」が可能だから。
TPP参加に賛成か反対か?の所で三橋が「APECはホノルルで行われますオバマはホノルルがふるさとですそこで俺やったぜ!とぶち上げたいんです」と発言。
たかじんは最近twitterで長期のハワイ旅行に行ってました的な事を報告しており、ホノルルと言うのはハワイ州の州都。かつてのハワイ王国の首都。
たかじん「ホノルル最近まで行っとったら工事だらけやでなんでこんなに工事やんねんぁぁ日本と一緒やーみたいな」 あぁ。確かに「かなり最近の話」だわな。
こうやって「他国の現状」を「日本の現状」と「比較して」どうなのか?とする展開。それが結果的に出てきた。そうした副産物が存在していた所は良かった。