最近のネット界隈は「コンセンサス(合意)上等!マジョリティ(多数派)万歳!」と言った様相で物事が進んでしまっているな。
1:コンセンサスの取れる平易な話題を採用する傾向が強い。
2:コンセンサスの取れる簡易な場所を選択する傾向が強い。
1は要するに「みんなが知ってる話題」、2は要するに「みんなが存在している場所」。 「1×2=twitter」 現状ではそんな感じだろ。
…あぁ、こうした傾向の強弱の「強化」はネットが真の意味で大衆向けのデバイスに変容して行っている、とする相当なる証拠であり
それは時代の変化ですねと一言で片づければいいだけの事なんで。
むしろ俺が問題視しているのは「こうした傾向が強まれば強まるほど『勝ち組だけが総取りし、殆どの負け組は容赦なく退場させられる』とした傾向も」
同時に強まって行ってしまう事。すなわち「日本には八百万の神が居り…とする様な『多様性』は日本人の美徳だったのに、それが消失されてしまう」と言う事。
勝ち組、すなわち絶対神だけが生き残り、あとは話題の基礎にもなれない。
すなわち「多様性ではなく絶対性」とした欧米的思考に過度に染まって行ってしまっている。とした傾向を俺は問題視している。
そして思考の過度な欧米化に警鐘を鳴らしている者も居なければ、思考の過度な欧米化に違和感を感じている者も居ない。
そうした傾向が強まっていく事、を現代社会では「バカになる」と定義し、俺の書いている「twitterばかりやってるとバカになる」と言うその定義の内容は
「思考の過度な欧米化によりコンセンサスの取れる取れないで話題の優位性を判断すると言う大衆迎合化によって思考が絶対神を崇める画一化へと向かうから」。
画一化された世界であれば別にその内容をネット上に書くのが「お前である必要はない」よな。「誰が書いても似た様な傾向を示す」と言うのであれば尚更。だよな。