2011年11月15日(火)ミスタープロスペクター

T-01D。クソもっさ。知ってる。「720を動かす時点で知ってた」。今更どうこう言うつもりも無い。
でも何度か展示品の画面を見る。何故か。「やっと精細の時代に(他人が)入ったか」。ある種の感慨。もしくは先行者利益の消失。

企業と言うのは信用出来ない。団体と言うのは信用しない。それが俺にとっての絶対の是。何故か。団体は団体を構築する為にしか動かない。「他」に視野は無い。
だから。企業は常に利益を出し続ける為にほどほどの商品を粗悪乱造でこの世に送り出し、開発が徒労に終わらない為に深入りをする事はしない。そうした生き物。

それがほぼ普遍の定理。

1:開発期間を考えた場合、期間に間に合わせる為に品質を追い求める事が優先されなくなる事態はしょっちゅう発生する。 
2:ほどほどの商品である事を見抜かれた場合、顧客には買って貰いにくくなる。企業が嘘をつく事態はしょっちゅう発生する。 
3:企業にとっては大衆迎合でなおかつ八方美人の展開を採る事が利潤への近道。企業が最大多数の最大幸福へ向かう事はもう分かりきった事。

3点の歴史を主として、「団体は団体を維持する事が最大の目的」である事を証明する。

だから使える商品は出さない。使える商品を出す事は団体の目的ではないから。
だから明確な宣伝はしない。明確な宣伝をする事は団体の目的ではないから。

企業≒団体≒パブリッシャー。パブリッシャーが「エヴァンジェリスト」に負ける理由。人間は集団を形成すればするほど集団を構築する事を最大目的とする。
「1+1+1+1+1+1+1+1=0」…いや、違うな。「集団を構築すると言う『空虚な目的』の為に動いてしまう」事を数式で例えれば「空虚=0」。

つまり「(1+1+1+1+1+1+1+1)*0=0」。パブリッシャーが「エヴァンジェリスト」に負ける理由。

[ Google、「Android 4.0」のソースコードを公開 ] Googleは11月14日(現地時間)、モバイルOS「Android 4.0」のソースコードを公開した。

カスタムROMを作ってしまう者が現れる。Androidの恐ろしい所。「パブリッシャーに勝ったエヴァンジェリストが企業満足以上の物を引き出す」具体例。
現代社会のそうした様相を事例とする。「企業や団体とした集団徒党を構築する事その物に対する疑問符を提唱する超個人主義が有効である事」を証明する。

企業(笑)団体(笑)。集団徒党を維持する事しか目的の無い集団徒党に関わっていく事ほど徒労に終わる展開は他にない。それが現実社会。

「やっと精細の時代に(他人が)入ったか」。企業と言うのは信用出来ない。団体と言うのは信用しない。「やっと精細の時代に(意図せずに)入ったか」。

これからは解像度ではなく精細度で物を判断する時代。しかし俺は以前から実行済み。「Firefoxではブラウザの解像度よりも大きい画像を表示する場合
自動的に画像をブラウザの画面に縦横合わせて縮小を掛けて表示してくれる」。その行為が「擬似的」とは言え、「高精細化」の役目を果たしている。

「600*800の画像を600*800の枠内に表示する」よりも「600*800の画像を300*400の枠内に表示する」方が詰まって表示される分精細に見える。
人間の目にとって画像がリアリティを持つのは解像度ではなく精細度。俺は過去から既にそれを利用した展開を自分のサイトに構築している。

Firefox以外のブラウザではそうした機能は基本有しない、有していたとしても俺の想定通りの展開ではない。従って自分で構築するしかないのか。
と思って画像を表示する際のやり方をこれまでの展開とは違った展開へと切り換えた。他のブラウザでも俺の想定に近い内容で画像を表示する様にした。
Google Chromeでも同等のやり方で画像を高精細に表示する。他のブラウザでも俺の想定に近い内容での実行。

そうした俺の過去の展開こそが「高精細」を利用する具体的な事例の1つであり、「高精細」が有用である事の実例となる。

「高解像度≠高精細化」、「高解像度<高精細化」。

T-01D。300ppiを越える高精細!…とは宣伝していない。1280*720でハイビジョン(笑)映像もピッタリと楽しめる!の様な「解像度」の宣伝をメインとしている。
「意図せずに入った」とする証拠。しかし現代社会は本当は精細の時代なので自分の尺度は精細を基準としていくだけの事。他人は知らん。

300ppi。これをスマートフォンで実現するには必要な解像度は720pと同等の画面解像度。
300ppi。これをタブレットで実現するには2560*1920と言う解像度が必要になる。

テレビはスマートフォンとは異なり高精細化が非常に難しいので尺度は80ppiを上回っていればそれで十分とする。
…特にその差が分かるのは「旅番組」か。同等の解像度を有する液晶テレビのパネルでも、そのパネルの「インチ数」が変われば当然精細度も変わる。

「(対角線の長さ)19インチ、(解像度)1366ドット*768ドット → 精細度:82.479ppi」 
「(対角線の長さ)22インチ、(解像度)1366ドット*768ドット → 精細度:71.231ppi」

企業は画面を大画面にすればリアルになると宣伝する。大嘘。人間の目にリアリティを感じさせるのは精細度。精細度は小さいテレビの方が有利。
企業は企業を維持する事が最大の(空虚な)目的。「(1+1+1+1+1+1+1+1)*0=0」。パブリッシャーが「エヴァンジェリスト」に負ける「実例」。

…特にその差が分かるのは「旅番組」。テレビ東京の1440*1080でいい旅夢気分を見るよりもBS-Japanの1920*1080でいい旅夢気分を見た方が高精細。
勿論ビットレートの違いや収録当時の機材の違いなどその他のファクターは様々ではあるが、そうしたファクターを除外して考えた場合には上記の通りと化していく。

大和田伸也「秋の訪れを楽しむ日光東照宮と那須の旅」

例えば木々。例えば点描の様に写る草原。そうした面々による描画に関して、人間の目で現実に近い!と言った印象を受けるのは高解像度ではなく「高精細」。

テレビを目の近くで見たら目に悪いでしょ!と言われている。「テレビと言うデバイスが稚拙な時代」はそうだっただろうな。

1:バックライトではなく自発光デバイスの採用 2:アナログブラウン管時代と比較してppiの出力が向上する 3:ギラギラとした映像の作りに規制が入る。

こうした様相の変化を時代の変化と捉えれば「近くで見たら目に悪い」と言うのは時代に取り残された連中と形容する他にはもはやない。
勿論「テレビ画面のすぐ前で見る」なんて言うのはアホの極みでしかないが、「離れる事が絶対正義」とは言わない方がいいよ?と言うのが俺からの案件。

「小さい画面のテレビをそんなに離れないで(近すぎないで!!)見る」。現状「金の掛からない高精細化」はそんな所だろうな。

俺「やっと精細の時代に入ったか」。ある種の感慨。もしくは先行者利益の消失。もしくは新しい先行者利益の誕生。その実、「集団徒党の徒労の証明」。

2011年11月15日(火)16時04分10秒