2011年11月23日(水)勤労

竹達彩奈の写真が「フォトテクニックデジタル12月号」に掲載されている。あぁ、何について語るのか。としたベクトルを念頭に記さない事は俺には出来ない。

・声優なのに顔出しが当たり前と言う風潮に異議(?)

肩書きなんて無意味。もはや団体や企業は自分らの意図を上手に隠す事もしなくなっている。ある種の阿婆擦れ状態。企業や団体はそれを隠さなくなっている。
顧客の為に何かを行うと言うのではなく、現代社会の団体や企業が動向を起こすその最大の目的は「内向きのWIN-WINを起こす為」と言うのが最大の目的。
つまり「タイアップ」、「相乗効果による話題性のアップとした知名度向上」と言った「企業間同士のやり取りを行う事」であり、客はその「おこぼれ」を頂くだけ。

だから「顔出しするしない」ではなく「内向きの企業活動において誰を出せば、何をやれば企業間同士のやり取りが成立するのかしないのか」で考えた方が賢い。

現代社会においての企業活動に顧客が期待や意見などする事は全くの無意味であり、そうした徒党を組んでの行為を「集団徒党」と区分して
そうした顧客軽視の様相に対しては「金を使わない」、「そいつらに金を使う事は悪だと断定してコンセンサスを獲得する」とした事例の「経済制裁」を使用して潰す。
「客の為に何かをする事が巡って自分の為と変容する」。その事を知らないで「自分らと相手企業の為」に商売を成すと言うのが現代企業の最たる特徴。
「士農工商」。その四字熟語は別に肩書きの偉い偉くないの順位を現している訳ではないのだが、現代社会の商いはどうも偉くない行為を平気でしでかしている。
従って「商≒えたひにん」と貶めた方が現代社会には実は符合している。と言うのが今昔の比較を用いて結論に至った「痛い商い」とする様相。

顔出しするしないと言った肩書きによる行動の是非ではなく「内向きの団体活動の存在を如実化させておく事。そうした非論理的な活動を避難する事」が賢者の行為。

・撮影した写真の出来不出来(可愛いとか可愛くないとか)

可愛いとか可愛くないとかは個人の想定の領域でしかなくそこに他人が介入する事は基本不可能。従って「論じる価値無し」と切り捨てる。

・撮影した写真の設定の出来不出来(露出、ピント、絞り、感度など)

ニコンならDXフォーマット、一般的にはAPS-Cと呼ばれているセンサーサイズでポートレートを撮影する場合の絞りの尺度は皮膚感覚ながら「F4.0」。
それよりも絞りを緩くすると被写界深度が浅くなりすぎて「柔らかすぎる描画」に変わる。例えばF2.8など。「F4.0が丁度良く、そこから絞るとガサガサになる」。
女の子を撮影すると言うのであればあまりガサガサに絞って撮影する事は誰も得をしない展開に陥ると俺は考えている。「ポートレートは基本、APS-CでF4.0まで」

絞りを最優先で考え、そこから感度を逆算し、ピントは意図した所に合っていれば特に問題ないとは言え最近のAFは優秀なので単焦点レンズを導入するにしても
使用頻度などの理由以外でMFレンズを使うのは効率的ではなくやはりAFレンズの方が使い勝手は上場となる。しかしまずは絞りを最優先で考えるべきである。
「どう言う意図で撮影したのか?」が分からない写真は写真としての価値はそれ程ないと考える。「写真の出来不出来で語るべき所」があるとすれば「意図」となる。

「フォトテクニックデジタル12月号」に掲載されている竹達彩奈の写真はキヤノンのフルサイズ機「EOS-1Ds Mark III」で撮られているそうで。

1:デカいカメラにデカいレンズを女の子に向ける。…声優雑誌の撮影などで慣れているとは言え女の子のハートには正直キツいだろ?そのシステムの選択は。 
2:フルサイズを採用した事で被写界深度はどうしても薄くなる。「つまりは顔の撮影と言うよりも目だけ口だけと言った部分撮影に終始する訳ですか。そうですか」。
簡単に書けば顔がどうのこうのと語れる写真にはまずならない。意図して絞りを絞りまくらないと顔の写真にはならず「目」の写真に終始する。
それで柔らかぽわわわ〜ん的なポートレートと言うよりも「どろどろに溶けた飴の様な写真」にすると言うのが意図なんですね。綺麗に撮ると言うよりも
如何にして「上意下達のイメージを写真を見た大衆に与えて印象操作を施すか」と言った「洗脳」に近い写真を撮る。と言うのが意図なんですね。

結論は実に簡単。「テクニックもヘチマもへったくれもなく、柔らか的な印象のある声優として顧客に対して洗脳行為を施しておきたいだけ。
本当に写真テクニックについて語ると言うのであれば被写界深度。ニコンならFXとDXと1インチで撮影し比べてみてどうなのか?のモデルに竹達を選んだ。
と言う様な展開でも実行すればテクニックについて語る価値も生まれては来るんだろうが単一フォーマットで撮影オンリーと言う時点でテクニックもヘチマも無い。

それはテクニックを語ると言う行為ではなくただの洗脳。玄光社+アイムエンタープライズ+たまゆら製作委員会による特定ベクトルへの洗脳行為でしかない。終了。

2011年11月23日(水)09時48分33秒