自分の日記を何故書くのか。「過去を歴史と化した状態で再整理し、近未来の自分がそれを見て有意義な物となるとした環境を構築する為に今の自分が頑張る」。
「過去、近未来、現在」。1年後のジャパンカップダートの出走馬が誰になるのかは予測するのも難しい訳だが1週間前の時点による今年のジャパンカップダートで
あれば多分この馬は回避するだろうな、とした展開はある程度読む事が出来る。未来ではなく近未来。その具体的な事例の方向性の違いのひとつ。
1:人間の記憶はあてにならない。その中でも比較的あてになるのが「出来事の直後」。従って「今」頑張る必要がある。
2:人間は歴史で以て判断される。こう言う過去があったから。こう言う歴史があったから。だから「今」こうした人間が構築されているのか。となる。資料として有用。
3:今の自分と近未来の自分は違う人。「しょせんは他人」。従って「内容を整理し、客観的な視点で書かないと近未来の自分は理解出来ない」。
以上の観点から「歴史が有用であり、客観的にきっちりと書く必要があり、それは基本的には今しか出来ない」事を論理的に提示する。