2011年12月09日(金)まっすぐど根性

mixiの中で「太郎といえば思い浮かぶものランキング」と言う内容を目撃した。…危ないな。実に危ないな。

1:ランキングと言う仕組みその物が下卑た行為。

1−1:多数派と少数派に分かれる。多数派であればあるほど発生する謎の優越感と安心感。それが発生してしまうと少数派への「弾圧」となる。 
1−2:多数派に属した場合自分の代替が効いてしまう。「お前自身のレゾンデートル」は消滅する。

「モダン・タイムス」は、1936年のアメリカ映画。チャーリー・チャップリンが監督・製作・脚本・作曲を担当した喜劇映画で、代表作のひとつ。
資本主義社会を生きている上で、人間の尊厳が失われ、機械の一部分のようになっている世の中を笑いで表現している。

ランキング1位の多数派に属していた場合それを語れる人物はお前以外にも多数存在する事となりお前が存在しなくても世界は回ると言う事になってしまい
結局の所お前の存在って無くても同じだよねと言った展開となってしまい「機械の一部分の様な人間」が増えてしまう事になる。…要するに「木偶の坊」。

1−3:多数派に属している場合それに付いていけばいいやと言ったボケ頭を持つ様なボケ人間が生産される事となってしまい環境への負荷が掛かる。

そんなボケ人間だったら最初から居ない方がいいんですよ。役に立たない上に代替も効いてしまうから。「代替の効かない人間」になった方がよっぽど賢い。

2:ランキングに「参加する」、「参加しない」と言った選択の性質を奪われる事で思考能力が落ちる。

何故かこの手のランキングには「参加する(参加しないといけない)」事が前提となっている節がある。誰も聞いていないのに「俺だったら○○かな」と語りだす。
…そもそも「最初から参加しない」と言う方式も世の中には存在しているのに何故か参加してしまう。「参加しないと仲間外れにされる」とした強迫観念の一種。

その事で「参加させる事で利潤を得る側」の策略にまんまとハマっている。としか言い様が無い。
それに参加する事で何が発生し、参加しない事で何が発生するのか。する事しない事で発生する「何か」はどう違っているのか。

とした「舞台の上には上がらない」と言う行為を認識する事が出来ない。つまり「比較」する事が出来ない。「単一思考に統一される」事になってしまう。
それは非常に危険な思考だな。それは非常に危険な展開だな。「そうやって画一化された行動パターンに一体何の意味があるのか」。ただの餌じゃないか。

「多数派と少数派。少数派が多数派に弾圧されてしまう」。「比較、と言う概念が頭の中から排除されてしまう」。
「愚民化」。俺はそう結論づける事にする。…なるほど、こうやって「右へ倣え」とした横並びの「お前の代わりはいくらでも居る」駄人間が生産されていく訳か。

少数派(マイノリティ)弾圧行為。俺はそうした現状に反吐を出す。少数派(マイノリティ)こそ現代社会で有益なる方角。それが有益な状況となる。

2011年12月09日(金)09時51分48秒