2011年12月11日(日)計算性質。異質人。

自分の意識を自分で見た場合の数字を100とする。自分の意識を他人が見た場合の数字はその4分の1にしかならない。
自分を評価するのは過大評価。もはやそれが絶対の存在気質。自分で自分を評価する場合、どうした所で過大評価。それが絶対の指標性質。

自分を他人が見た場合の評価をどこの数字に取るべきか。最大値を100とすれば半分以上で過半数を取る事が出来る。それが数字の割合の目安。
50丁度だと過半数を越えているのか越えていないのか、そこの狭間が曖昧となる。従って「60」と言う数字を採用する。

自分を自分で評価した際の数字が100で、自分を他人が評価した際の数字が4分の1。すなわち25。
自分を他人が評価した際の数字が25とし、自分を自分が評価した再の数字が100なら。すなわち4倍。

自分の意識を他人が見た場合の数字は自分の意識の4分の1にしかならない。自分の意識を他人が見た場合の数字を60に定める。

すなわち4倍。

60×4=240。動くべき意識の水準は240の位置に取れ。そうした意識で動き続けろ。

240の中に何を入れるのか。その割合は16の倍数と15の倍数を1つの区切りとして計算を行う。

240÷16=15 240÷15=16

皇紀2671年後半の現代社会は「16の倍数」が鍵となる。1280÷16=80。720÷16=45
皇紀2671年後半の現代社会は「16の数字」が礎となる。

240の中に「格好の良さ」「肉体美の有無」「知識の有無」「良質な言葉遣い」など、人間の探求として求められる資質を当てはめていく。
その区切りとするべき数字を16とするか。それとも15とするか。

現代社会は16の倍数が鍵となる。

…しかし16を1つの単位とした場合、240の中に当てはまる区切りの数は15となる。
…そして15を1つの単位とした場合、240の中に当てはまる区切りの数は16となる。

神は細部に宿る。分割は細部に行い、より優れた充足を求めていく。

…従って自分は「15」を採用する。「格好の良さ」「肉体美の有無」「知識の有無」「良質な言葉遣い」など、人間の探求として求められる資質をひとつごとに
「15」と考慮し、「15」を16種類重ねていく事で、その合計は「240」となる。そこが自分の目指すべき所。

それが昼12時間、夜12時間。1日は24時間ではあるが、針が示す数字は「12」までしかない。「12」と言う数字こそが人間に与えられている「時間」の性質。

15×12=180

時計の文字盤は「円」。円の中心角は360度。

360÷180=2。中心角の半分となる。自分の人生、常に「道半ば」。「半ば(なかば)」には「半分の半」と言う漢字が使われている。
360の半分は180。常に「道半ば」とする自分の意識と「360÷180」の計算結果「2」は一致する。丁度良い。

「15」の数字を採用しても、「種類」の方に当てはまる数字は「16」。

皇紀2671年後半の現代社会は「16の数字」が礎となる。その事とは矛盾しない。やはり「16」と言う数字が重要になる。その事とは矛盾しない。以上。

2011年12月11日(日)06時58分24秒