伊勢崎市内に「フレッセイ連取モール」が西暦2011年の11月25日にオープンした。核テナントは「クラシーズ連取」。
フレッセイのスーパーとしての新しい業態を形とした店舗であり既存の自社スーパーと比較して「高級路線」を採用した業態のそれと言う事で。
あぁ、今頃になって日記には書いてるが情報自体は以前から知っていた。取り上げるのは今回が最初か。「思惑と実行のタイミングのズレ」は是正しないとな。
感想1:暮らし+シード(種)=クラシード、とした名称の「クラシード若宮」。 暮らし+シーズ(種の複数形)=クラシーズ、とした名称の「クラシーズ連取」。
それに加え、モール形式の「フォリオ」。あとは単独出店としている昔から続いている店舗業態の庶民向けスーパー「フレッセイ(なんとか店)」。
フレッセイの企業としての歴史上、CI(コーポレートアイデンティティ)を導入したのは平成の世になってから。
年配者はフレッセイとする名称を導入する以前の名称の「マツセー」で呼ぶ事がある。
「クラシード」、「クラシーズ」、「フォリオ」、「フレッセイ」、「マツセー」。以上の5種類。名称が多岐に渡りすぎて何をしたいのかが見えて来ない。
「強み」が一体どこにあるのか。高級路線なのか、それとも低価格路線なのか。ドミナントなのか、それとも倉庫的業態を有する形のスーパーなのか。
ブランド名が多岐に渡りすぎ企業としての方向性が見えない。それは顧客に対しての明確なるメッセージ性とは繋がらない。そこの経営に甘さがある。
感想2:今回オープンした「フレッセイ連取モール」。1キロほど先にある「別のフレッセイ」どうすんの?フレッセイは同一市内に多店舗出店をする事自体は
良くある行為と言った風土の企業です。近隣に店舗が複数存在している事自体は特に珍しくない。問題なのは「近すぎる距離に新規店舗が2つ」ある事。
平成20年12月に開店したばかりのフレッセイの店舗、どうすんの?
・平成20年開店の近隣店舗を残した場合 → 近くに2店舗と言う距離による自社同士での売り上げの食い合い。まるで共食いだな。
・平成20年開店の近隣店舗を閉めた場合 → こんなに早く閉店するんだったらどうしてそもそも出店したん?とした戦略の甘さに批判が向かう。
…どっちにしてもアレな結末だな。…あぁ、基本的には「閉店しました」なんで。知ってる。平成20年開店の店舗の方は閉店しました。
…へぇ。日産のカーディーラーの近くにあったあの店「もう閉めた」のか。早いな。2年ちょっとで閉めるとか、まだまだ店舗の内装も新しい方だろうに。
…そう言う現状。そう言う訳でとりあえず出向いてみたりする。
印象1:店作りの商品棚を低くして店内を見渡せる様にしての「広さ」を取る。過度にゴテゴテした内装にはせずに床材を工夫して高級感を出す。
クラシード若宮では過度な高級路線を取ってフレッセイは高いとした印象になってしまっていたがクラシーズ連取ではCGCグループ商品を中心に
低価格路線のそれもきちんと売り場のポイントポイントできちんと揃えて並べていたと言う事で高級路線(100グラム800円の和牛のお肉)と
CGCグループの低価格商品を中心とした激安商品(歯磨き粉の縦型チューブ1個98円など)を別枠で置くと言う行為で価格帯と環境作りに配慮している。
それは素直に褒めていい。平成21年に建設した玉村店と比較して1割程度の節電を考慮した店舗になりました。と言う様な企業努力も含めてそれは認める。
印象2:商品の価格はやはり若干高くつく。群馬県内大規模小売り店戦争の中心はベイシアであり価格面ではどうしたってベイシアと比べて高くなる。
高くなる分だけ価値のある物をと言うのであれば話は別だがベイシアが近くにあると言うのであればそっちへ行った方が安い?と言う印象を抱いてしまう。
「対ベイシア」に対して個人的には無策と感じる。特定商品にバイヤーが力を入れベイシアより1円でも安く導入するとした「部分的対抗価格」の導入などあれば
その他の商品がベイシアと比べて高い値段を付けていたとしてもフレッセイに対する顧客満足は上昇する。「対ベイシア」に関して無策と言う印象を抱いた。
印象3:クラシード若宮が無駄に高い高級路線であるのとは異なり「既存のフレッセイ+部分的にクラシード若宮の高級路線を取り入れた」様相のある店舗。
それは逆に言えば既存のフレッセイとは違いを見いだす事が難しく、どうしてわざわざクラシーズなどと言う名称まで起こしてこの店舗を作ったのか。
そのコンセプトが理解不能。消化不良とした印象を抱く事になる。「これだったら別に新しい名前をつけなくてもフレッセイの名称を使えば良かったのでは?」と。
…結論。店作りのコンセプトはある程度進化しているが細かい所でまだまだ配慮不足。特にクラシーズなどと言う新規名称を付ける事は必要だったのか?
次から次へとブランド名を増やしてしまうと顧客の頭が混乱してしまう。ブランドの整理と売り場作りの細かい所での失態の改善が必要不可欠。
そう言う印象を抱いたな。個人的には「土づくりから始めた和歌山のみかん」が旨かったのでそれは良かったね。と言うのが印象としてあるだけなんですが。
…今後この日本と言う国の世の中においてはデフレ&ごく一部の勝者が全てを総取りするとした画一的でなおかつ低価格低料金低収入とした3つの「低」とする
時代がやって来る。すなわち住宅建設などの高額費用を借金でまかなった場合デフレの進行によって給与の絶対金額も少なくなって借金苦へと化してしまう。
金を使う事に反対はしないが過度な借金は冗談抜きで自殺しなければ解決しない様な状況下へと向かっていく。俺の印象はそう言う風になっている。
そう言う社会になって行った場合、多種多様性とした様相は失われ画一的な物となり没個性すなわちとある方向性に全体が向かっていきその方向性が
「間違っていた」場合に修正の上方向転換と行った行為が出来なくなるすなわち失敗を失敗と認める社会の構築が不可能となっていきより悪い方へ
悪い方へと向かって行くと言う集団自殺の様相が色濃くなっていく世の中となっていく。すなわち「対立意見は抹殺する」とした画一の方向性が強まっていく。
「強大な組織が構築する方向性が間違っていた場合の(乗り換えも含めての)迅速なる修正」。特に「迅速かどうか?」の部分が大きい。
それが出来ない世の中は末梢からして腐ってる。自分の中ではそう判断している。そうした画一的な世の中に「ならない」為にも「比較」が要る。
その「比較材料」を「最低限」「自分の為に」提示しておくだけの事。たったそれだけの事でしかない。以上。